第1節 西日本編 / 1973年3月,出発前
旅行の準備と計画
 この旅行は,友人3人と,大学生になったときに実行しようと,少し前から話し合っていました.3人とも理科系の人間だからかどうかは分かりませんが,きっちりと予定を立てて実行するという性格の持ち主でしたので,みんなで,かなり緊密に予定を立てました.下の図がその行程の予定図です.離島へは渡らず,本州,四国,九州,北海道の,メインランド4島をまわることにしました.

▲日本本土一周旅行予定行程図.山陰線は結果的に通ることがなかった.
 行程が決まると,日程,そして切符と宿泊の手配が必要です.なんせ学生ですから,できるだけ安く済ませることは必要条件です.まず日程から決めました.北の方の雪景色を見たかったこともあり,春休みを利用することにしました.1973年3月10日に神戸を出発し,4月3日に終わる,24泊25日とすることにしました(実際は4月5日に帰神しました).

 宿泊地は,基本はユースホステルを利用し,私や友人が地方の大学に進学していたこともあってそこも利用し,あとは車中泊,そして最後に東京にいる友人の親戚にご厄介になることにしました.

 切符は大きく分けて3つの周遊券を使うことにしました.この当時は,国鉄の発行している均一周遊券が非常に有利でした.旅行を春にしたもう一つの大きな理由に,北海道の均一周遊券が冬季に割引があったことがあります.四国,九州なども均一周遊券を使う手がありましたが,神戸からの移動経路が重複するために割高になることがあり,途中で関西汽船に乗ったり,バスを利用する場面が多くなるので,普通周遊券をつくることにしました.四国から九州をまわり山陰を通って神戸に帰る普通周遊券を一つ,神戸から南近畿を通って神戸に帰る普通周遊券を一つ,それぞれ日本旅行につくってもらいました.近畿より北方はすべて北海道均一周遊券の途中経路に当たりますので,有効20日間内ならどこででも途中下車ができます.

▲ユースホステルの会員証と普通周遊券の表紙.
 今から約半世紀前,驚くほど交通費が安かったのですね.四国・九州・山陰を回る普通周遊券は,国鉄,関西汽船,バスなどすべて含めて8,550円,南近畿を回る普通周遊券は,同じく2,310円でした.例えば今なら,JRで神戸の三ノ宮から高知へ行く片道普通乗車券だけで8,040円かかります.これよりちょっと高いだけで,四国・九州・山陰を回って帰ってくることができるわけですから,本当に安く旅行ができました.さらに均一周遊券の場合は,自由席の急行に乗車できることもあり,急行券も節約できます.北海道均一周遊券は,値段を記録し忘れていたので正確には忘れましたが,12,500円くらいだったと思います.

 ユースホステルは,当時,1泊900円が基本でした.全部で12泊利用しましたので,10,800円程度かかりました.私と友人の下宿で4泊,車中泊5回,親戚の家で3泊(実はこれが延長になったのですが)お世話になり,実質宿泊費はユースホステルの10,800円だけで済ませました.このように,交通費と宿泊費で35,000円程度で済ませることができ,学割があったからとしても,今からは考えられない価格でした.あと,現地での費用などを含めて,たしか,6万円少々の予算だったと記憶しています.

第1節 西日本編 / 1973.3.10. Sat.
第1日 神戸から岡山へ
新神戸(10:14)−<山陽新幹線/ひかり401号>−岡山(11:16)=(13:00)−<津山線/6666D>−備前原(13:07)

 さて,いよいよ出発の日がやって来ました.まずは三ノ宮駅で北海道の均一周遊券を買います.3月17日から有効になるようにしてもらいました.その後,新神戸駅に10:00に集合です.友人の一人が少し遅れてきました.予定では普通電車を乗り継いで岡山まで行くことになっていましたが,どういうわけか新幹線で行くことに変更しました.新幹線の自由席はいっぱいで,岡山まで立って行くことになりました.しかも25分の延着です.特急券をはたいたのに,なんとまあさいさきの悪いこと.ちなみにこの当時,山陽新幹線はまだ岡山までしか開業していませんでした.つまりここより先は在来線だけでの旅となります.1泊目は友人の下宿に宿泊します.津山線の備前原駅に降り立ちました.なお上の行程で6666Dとあるのは,列車番号です.

 1日目の最大のイベントは,出発パーティです.友人の下宿ですき焼きパーティをしました.気持ちが高ぶっていたのでしょうね,肉を1kgも買ってしまい,結局たくさん残してしまいました.ちなみにお昼はとんかつ定食,金300円也.すき焼きの材料も,割り勘で815円也でした.安いね!

▲肉を1kgも買って,すき焼きで盛大に出発パーティ.
 友人はみな高校時代からの友達で,よく学校でトランプをしていました.こう書くと悪ガキ仲間のように見えますが,至って真面目な3人です.そこで,夕食後,自動的にトランプ大会をすることになりました.ナポレオンです.ずいぶん盛り上がり,若さ故の無謀さ,初日から睡眠時間1時間での旅行開始となりました.

第1節 西日本編 / 1973.3.11. Sun.
第2日 岡山から高知へ
備前原(6:53)−<津山線/661D>−岡山(7:02)=(7:33)−<宇野線/3121M>−宇野(8:09)=(8:17)〜<宇高連絡船/9便>〜高松(9:17)=(9:32)−<予讃本線・土讃本線/4201D 急行土佐1号>−大歩危(11:22)...[大歩危下り]...大歩危(14:55)−<土讃本線/759D>−高知(16:53)

▲いよいよ本格的な出発.津山線備前原駅にて.
 いよいよ旅行へ本格的に出発です.第2日目にして睡眠不足.まずの予定は四国Vライン.高松−高知−松山を結ぶラインのことをこう呼んでいます.備前原駅から岡山へ出た私たちは,宇野線の電車に乗り換え.もちろんこの当時は瀬戸大橋なるものは影も形もありませんでしたから,宇野線で宇野まで行き,その後宇高連絡船に乗って四国は高松へ渡ります.宇高連絡船上には讃岐うどんの店があって,皆でうどんを食べました.うどんは1パイ70円也.

▲宇高連絡船上で.航跡を追ってカモメが群がるいつもの光景.讃岐うどんを食う我々.
 本日の観光は,大歩危峡下りです.急峻な四国山地を削り取ってできた渓谷を流れる,水量の豊かな吉野川を,船頭さんの梶さばき一本で下っていきます.ここは中央構造線が走っており,断層帯のため岩石がもろくなっていて,侵食作用でこのような急峻な谷が形成されたのでしょう.吉野川の緑色の水と薄緑色の片麻岩の色の対照が美しかったです.デジカメの時代なら惜しみなくカラー写真を撮っていたことでしょうね.往復で40分,値段は200円でした.お昼に200円のカレーライスを食べました.

▲大歩危峡にて.大歩危峡の立て看板の前で記念撮影. 大歩危下りの船頭さん.
 さて,大歩危観光を済ませたので,宿泊地の高知へ向かいました.高知には17時前に着き,土佐電鉄の路面電車に乗り,はりまや橋で乗り換え,大橋通まで行って下車,その後20分ほど歩いて筆山ユースホステルに向かいました.筆山は高知市にある公園で,夜桜で有名ですが,この季節ではいくら南方の高知でも見ることができません.ここのユースホステルはすいていてゆったりと過ごすことができました.宿泊料金は700円でした.

▲筆山ユースホステルにて.高知県に伝わる河童に近い妖怪"しばてん"をデザインした記念印.
第1節 西日本編 / 1973.3.12. Mon.
第3日 高知から松山へ
はりまや橋(9:15)--<土佐電鉄バス>--龍河洞(10:11)=[龍河洞見学]=龍河洞(11:40)--<土佐電鉄バス>--はりまや橋(12:36)...<徒歩>...高知(14:00)--<国鉄バス/16 なんごく8号>--松山(17:37)=松山駅−<伊予鉄高浜線>−衣山

 旅行は始まったばかり.予定を次々に消化していくといった感じで,特にハプニングはない,...と思いきや,午前中の見学地の意見が合わず,私と友人2人は別行動をとることにしました.高松に母親の実家があり下宿が松山であるなど,四国に縁がある私には桂浜など高知市内は新鮮味に欠ける感じでした.ということで私は龍河洞へ,友人たちは市内見学に出かけることにしました.龍河洞までは土佐電鉄バスです.

▲龍河洞観光センター.土佐電鉄の停留所の標識が見える.
 龍河洞はとても狭い鍾乳洞で,秋芳洞などとは違い,探検ムード満点でした.所々身体が壁に触れるくらい狭いところがあります.団体客と鉢合わせし,結構混雑していて,ゆっくり見学できなかったのがちょっぴり残念でした.左の栞のようなものは,入洞券の半券です.

 ここには,尾長鶏がいたり,土佐犬の闘犬横綱がいたりしました.写真を撮っておけばよかったです.ただ写真は,フィルム代や後の現像焼き付け代で結構お金がかかるので,無駄に撮れないという事情もありました.デジカメ時代の今でとは大違いです.お昼はオムライスを食べました,230円でした.この外食の金額を書くだけでも時代を感じますね.

 さて,高知駅14:00発の国鉄バスに乗らねばなりませんので,土佐電鉄バスで引き返し,高知駅へ向かいました.バスの発車までに,駅スタンプを押しました.この当時,国鉄は,DISCOVER JAPAN なるキャッチコピーで,日本国中のさまざまな場所へ旅行しようというキャンペーンを張っていました.そのため,全国津々浦々の駅に,駅スタンプが設置されていました.この旅行でもかなりたくさんのスタンプを押しましたので,今後少しずつ紹介していきます.

▲高知駅の駅スタンプ(DISCOVER JAPAN).次は愛媛県に入る.
 松山には夕方に着きました.今日は私の下宿に泊まります.夕食は松山のうどんチェーン店かめやで「しのだライス」にしました.「しのだ」というのはきつねうどんのことです.これが180円.何度も言いますが,本当に安い.明日は松山市内案内で,もう一泊します.

第1節 西日本編 / 1973.3.13.Tue.
第4日 松山市内観光
市内を伊予鉄・徒歩で移動

 この日は,朝9時に起床.まずは,今後の行程のために,3月20日の特急雷鳥6号の座席指定券を買いに行きます.それからは,主に歩いて市駅,銀天街,大街道,大学のキャンパスへと散策しました.天気は快晴で,キャンパスで太陽の光をいっぱいに受けながら,昼寝をしました.松山城にもリフトで登り,観光しました.午後は道後温泉に行き,温泉に入ったり,歓楽街で過ごしました.最も金欠旅行ですから,歓楽街と言っても,特にこれといったところへは入ることができませんでした.

 夜は地元の友人が訪ねてきて,4人で麻雀をしました.だんだんと熱が入り,結局徹夜麻雀となってしまいました.旅行4日ですでに2回の徹夜,若いときは無茶ばかりしていたのが,今更ながら分かります.そんなこんなで,次の日,いよいよ九州に向かって出発です.

▲下宿の屋上にて.背景に見えるのは松山城.
第1節 西日本編 / 1973.3.14. Wed.
第5日 松山から大分・門司・下関へ
衣山−<伊予鉄高浜線>−松山観光港=松山観光港(7:00)〜<関西汽船/観光3便>〜別府(11:10)...[高崎山自然動物園]...別府(13:40)−<日豊本線/544M>−門司(16:43)=門司...<関門トンネル/徒歩>...下関

▲別府港にて.後方に見えるのが乗ってきた関西汽船観光3便.
 さて,いよいよ今日は九州入りになります.まず,松山観光港から関西汽船に乗って別府へ渡ります.松山から九州へ行くには,当時はこれが一番速かったのです.昨夜徹夜したせいで,船の中では横になって3時間余りぐっすりと睡眠をとりました.いや,こういうときは船の旅はいいですね.昨夜合流した友人とも一緒に,お昼前に着いて,徹夜疲れをおして,早速高崎山の自然動物園に行きました.いわゆる高崎山のニホンザルを見に行くのです.入場料は100円.現在は510円いるそうですから,1/5の値段です.

▲高崎山にて.右上は入場券の半券.右下は記念スタンプ.
 高崎山ではあまり時間がなく,ゆっくりとお猿さんと交流ができませんでした.すぐに別府駅の方に移動し昼食タイム.この日の昼食はとんかつ定食.この旅行中よくとんかつ定食を食べました.値段は350円.ちょっと高いのですが,これは有名観光地だからでしょうか....ここで,松山で合流した友人とは別れ,日豊本線の普通電車で門司へ移動します.記録はしていませんが,電車の中では居眠り三昧であったことは想像に難くありません.

▲別府駅にて.時間がなく三脚を立てずに手持ち撮影.DISCOVER JAPAN の駅スタンプ.
 門司に着いたのは夕方近くになりました.そこから,関門海峡の方へ,建設中の関門海峡大橋を見学に行きました.もちろんこの当時は瀬戸大橋もできていませんから,本州と他の島を結ぶ大型の橋としては初めてのものでした.関門海峡大橋をバックに記念撮影しました.背景に写っているのは下関側の陸地で,右手の小高い山は火の山公園です.今日はここにある火の山ユースホステルが宿泊地です.

 本州と九州を結ぶ鉄路は関門トンネルだけだったためでしょうか,門司駅のスタンプもトンネルをイメージしたものになっています.

▲関門海峡にて.背景は建設中の関門海峡大橋と下関側の風景.
 関門海峡といえば,森高千里の映画「あいつに恋して」の中で,北海道から歩いてきた「どさん子」がいかだで九州へ渡るシーンが撮影されたところです.といっても,1973年は森高千里が4才の時ですから,そんなことまったく思いもしないことですね.本来ならここでは源平の話でもするところでしょうね(笑).私たちはこれから九州をまわった後,逆に北海道へ向かいます.次のイベントは,関門トンネルを歩いて通ることです.

 関門海峡を横目に見ながら歩き,やがて,関門トンネルの人道入り口にやってきました.左のスタンプにあるように,人道トンネルは,自動車道の下側を通っています.実際にトンネルを歩いてみますと,昨夜の徹夜がたたっているわけではないと思うのですが,ぐらぐらと波打って揺れているように感じました.錯覚なのか本当に揺れているのか,その場では判断できませんでした.理屈で考えると揺れるわけはないと思うので,多分錯覚だったんだろうと思っていますが.

 下関側に渡った私たちは,そのまま,火の山ユースホステルにチェックインしました.例によって,ユースホステルの前で記念写真です.ここの記念スタンプは下関名物のトラフグのようです.上の関門トンネルのスタンプも,火の山ユースホステルに設置されていました.もちろん,この夜は爆睡したことはいうまでもありません.

▲火の山ユースホステルにて.ここのスタンプは四角.背景は関門海峡大橋.
第1節 西日本編 / 1973.3.15. Thu.
第6日 秋吉台と秋芳洞
下関(9:19)−<山陽本線/3636M>−厚狭(9:52)=(9:55)−<美弥線/2727D>−美弥(10:38)=(11:29)--<国鉄バス>--秋芳洞(11:48)...[秋吉台・秋芳洞]...秋芳洞()--<国鉄バス>--美弥()=(17:00)−<美弥線/>−厚狭(17:30)=(17:39)−<山陽本線/>−下関()=()−<山陽本線・鹿児島本線/>−小倉()=()−<鹿児島本線/101レ 急行かいもん3号>−[車中泊]−

 今日は,秋芳洞と秋吉台の観光です.今回の旅行の計画では山陽路のルートがほとんどありませんので,唯一といってよい見学地になります.予定では秋芳洞を18:17に出るバスに乗ることになっていましたが,見学に飽きたのでしょうね,少し早く引き返しました.小倉に至るまでの時間や列車名を記録していません.

 さて,美弥駅からは国鉄バスで秋芳洞まで行きます.国鉄バスの秋芳洞ターミナルにも,DISCOVER JAPAN のスタンプが置いてありました.

▲秋芳洞にて.秋芳洞の入場半券,秋吉台・秋芳洞探勝記念スタンプ.
 秋吉台も秋芳洞も,中学校の修学旅行で一度来たことがありました.我々理科系3人組としては,それでも石灰岩でできたカルスト台地や鍾乳洞には地学的興味があり,いろいろと自然観察をしました.秋芳洞は巨大な鍾乳洞で,先日行った龍河洞に比べると,トンネルという感じです.龍河洞のように小さな鍾乳洞の方が探検するにはスリルがありますね.お昼は肉うどん+ライスを食べました.金230円也.

▲秋吉台のカルスト地形.
 美弥駅で記念スタンプを押した後,美弥駅から厚狭駅まで引き返しました.そこから最初は門司で降りて,急行かいもん3号に乗る予定でした.しかし少し賑やかなところで夕食をとりたくなったようで,小倉まで足を伸ばしています.

 小倉ではちょっぴり日常を取り戻すような動きをとりました.夕食はスパゲティー+ライスで260円,なんか炭水化物ばかり食べている気がします(笑).金欠旅行ですから,これほど安く食費をあげても,「現在200円オーバー」という記録が残っています.夕食後,雀球(じゃんきゅう)をしました.今でも雀球ってあるのですかね? また喫茶店でオリエンタルプリンを食べました.こんな感じで過ごして,急行かいもん3号の到着時刻を待ちました.

▲普通周遊券:美弥駅から指宿駅までの普通乗車券.下関駅の DISCOVER JAPAN のスタンプ.
 ここまで,岡山,香川,徳島,高知,愛媛,大分,山口の各県をまわってきました.これらは,いろいろな意味で私にはなじみのある地域ばかりでした.出発してから5日が経ったのですが,不思議なことに,私はまだ本格的な旅行気分にはなっていない感じでした.いわゆる旅の解放感がまだ芽生えていません.明日は一気に鹿児島へ行きます.そして佐多岬から宗谷岬を目指す,日本縦断コースに入ります.旅気分になれるといいですが...

第1節 西日本編 / 1973.3.16. Fri.
第7日 佐多岬へ
−[車中泊]−<鹿児島本線/101レ 急行かいもん3号>−西鹿児島(5:50)=西鹿児島駅--<鹿児島交通定期観光バスA2コース>--[佐多岬観光]--<鹿児島交通定期観光バスA2コース>--指宿(15:52)−<指宿枕崎線/3748D>−西鹿児島(16:45)=(20:30)−<鹿児島本線/202レ 急行屋久島2号>−[車中泊]−

 この旅行初めての車中泊でした.ちょっと贅沢して寝台車での移動です.普通寝台は狭くて細長い座席といった感じ,慣れないせいもあってあまり眠れませんでした.西鹿児島にも早朝に着き,なかなかの強行軍になっています.さらに,今晩も夜行での車中泊になります.ニュースでは動労がストライキをやっていて,あちこちで列車が予定通り動いていないことが報道されています.ちょっと先行きに不透明感が漂っている雰囲気です.

▲西鹿児島駅にて.通学風景,思わず出会った友人,小倉駅,西鹿児島駅のスタンプ.
 ところで,まったく旅には不思議な出会いがあります.私は大学でサイクリング部に入っていたのですが,同じ部の友人に,西鹿児島駅前でばったり出会ったのです.彼らはこれから沖縄に走りに行く予定だそうです.大学の友人に,大学から大きく離れた西鹿児島で,わずかな滞在時間に同一空間にいる,本当に偶然とは不思議なものです.彼らはうまく沖縄のツアーを成功させたのでしょうか? 駅前には通学中の女子高生たちの姿がありました.こういった日常の風景に心を動かされるようになったのは,見知らぬ土地に来たせいでしょうか,旅にもだいぶん解放感が出てきたようです.

▲桜島.噴煙が出ている.
 鹿児島交通の定期観光バスは事前に予約ができないシステムだったので,当日ぶっつけで切符を買いました.結構たくさんの客がいたようですが,うまく取れました.大隅半島を南へ走りながら,右手に桜島が見えました.桜島は初めてです.道路の横には溶岩が並び,その向こうには西鹿児島市が見えます.まさに異国の風景が展開し始めました.旅気分いっぱいで興奮したことを覚えています.

▲溶岩がむき出しで並ぶ横の道路を通りながら走るバス.向こうの方に見えるのが西鹿児島市.
 バスが佐多岬に着きました.ここからは自由散策の見学になります.天気はよく晴れており,とてもよい観光日和です.北緯31度線を南へ越えることになるわけで,3月中旬のこの時期でも十分に暖かく,上着を取っての行動になりました.しかし,徹夜で遊んだり車中泊したりと,さすがに疲れが出てきたのか,疲労感が漂う中での観光にもなりました.佐多岬は結構広く,かなり歩き回ったのも結構こたえました.

 定期観光バスのメンバーで記念写真撮影がありました.これにはたくさんの方が写っていますので全体の写真掲載は控え,サインだけをトリミングしてみました.定期観光バス4号車であることが分かります.

▲日本本土最南端佐多岬にて.背景に見えるのは佐多岬の灯台と東シナ海の水平線.
▲佐多岬の風景と栞類.一つは本土最南端来訪証明書となっている.
 佐多岬の観光が終わり,指宿へ移動します.このバスは指宿の方へ行ってくれるんですね.助かります.バスガイドさんが歌ってくれた「南国情話」という歌が心に残っています.長崎鼻や開聞岳という薩摩半島最先端の地名が出てきます.一節を紹介しましょう.

1.岬の風にないて散る 浜木綿かなし恋の花 薩摩娘は長崎鼻の 海を眺めて君しとう
2.開聞岳の山の巣に 日ぐれは鳥も帰るのに 君は船乗り竹島はるか 今日も帰らず夜が来る
  作詞:石本 美由紀


▲指宿駅にて.止まっているディーゼル列車に乗って西鹿児島へ行く.指宿駅スタンプ.
 バスはやがて指宿に着きました.指宿からディーゼル列車に乗って西鹿児島へ戻ります.夕食はまたまたとんかつ定食,250円です.西鹿児島からは夜行で車中連泊の予定です.一方動労のストも本格的になっていて,列車の運行は非常に不安定になっているようでした.とりあえず,西鹿児島発門司行きの屋久島2号は運行されるようですが,これもどこまで行けるかは分からない状態でした.旅行にハプニングが起きそうな予感です.

第1節 西日本編 / 1973.3.17. Sat.
第8日 山陰まわりの予定が...
−[車中泊]−<鹿児島本線/202レ 屋久島2号>−銀水(6:00頃)=(7:00過ぎ)−<1120M>−門司(10:30頃)−<市内電車>...<関門トンネル/徒歩>...下関(12:00頃)=(13:30過ぎ)−<1212レ 急行日南>−岡山(19:47)=()−<津山線>−備前原()

 とうとう,動労のストに巻き込まれてしまいました.屋久島2号は鹿児島本線の銀水駅で止まってしまいました.銀水駅は大牟田の近くです.私は旅行中手記を書き続けていましたが,このアクシデントあたりから本格的に書き始めました.手記にはこのときのことを次のように書いています.

 本日動労のストライキがあった.今書いているのは,下関駅P.M.1:15である.夕べの急行がいまだに九州内に止まっている.我々は山陰線をまわるはずであったが,今,山陰線は全面的にストップで麻痺状態.我々の乗る予定であった門司発5:22の824レだけが発車したというのは憎い.けさは鹿児島本線の銀水駅で202レはストップしてしまった.そのあと快速で門司まで来て,3月14日のように人道トンネルを抜けて下関に来た.下関に着いたのは11:50くらい.824レには間に合わなかった.とにかく計画が狂ってしまった.山陰線をどうしても通りたかったのであるが,そうすると,発車するのが今夕,そして米子に朝着いて,岡山が昼,和歌山くらいへは行けるが,これはあくまで皮算用であって,下手をするとまる一日下関で足止めをくうかも知れない.それではあまりにも今後の計画が狂ってしまうので,国鉄の係員と交渉して山陽線を通ることにした.日和ってしまったのだ.のる列車は「日南」である.
 今,日南は発車した.あすから第2節が始まる.予定を元に戻す.それにしても山陰線に行けないのが悔しい.さらば,九州.

 ということで,みんなで相談して,山陽線を通って移動することにしました.山陰線はただ列車に乗って移動するだけの予定だったのですが,予定の824レはSLが引く列車だったと思います.SLの引く普通列車に乗って山陰路を移動するという,ローカルでレトロな旅を満喫するというのがねらいでした.米子まで行って新見を経由して岡山へまわる予定でした.普通周遊券は経路を指定して購入していますので,下関駅で交渉して,山陽線経由に変更してもらいました.乗車券の裏側にその旨の記述があります.結果的には予定より3時間早く岡山に着きました.

▲普通周遊券の裏の記述.さんべ1号というのはその時に間に合う運休列車なのでそう申告した.
 岡山では,再び友人の下宿に宿泊します.もうメモが何も書かれていないのですが,おそらく疲れがどっと出たのでしょうね.バタンキューで寝たのではないかと思います.あすから第2節の近畿・北陸・東北コースに入ります.