第2節 近畿・北陸・東北編 / 1973.3.18. Sun.
第9日 岡山から潮岬へひたすら移動日
備前原(8:04)−<津山線>−岡山(8:13)=(9:02)−<山陽本線/3422M>−姫路(10:21)=(10:40)−<山陽本線・東海道本線/3642M>−大阪(11:59)=()−<大阪環状線>−天王寺()=(13:30)−<阪和線・紀勢本線/306D きのくに7号>−串本(17:37)

 日本一周旅行第2節,近畿・北陸・東北コースに入ります.スタート地点の岡山の友人の下宿を出たのは備前原駅8:04発の普通列車.前日の動労ストの影響がまだ少し残っているようですが,列車の遅れはそれほどひどくはないようです.昨日は山陽路を急行に乗って帰ってきたこともあって,疲れは少し取れてきたようです.行程表で分かるように,神戸を素通りします.神戸に住んでいて,姫路から大阪に向かう電車で神戸を素通りするという経験は,ある意味なかなかする機会がなく,妙に新鮮だったことを覚えています.

 今日の行程は,ひたすら移動するだけ.岡山から串本まで,半分の行程は普通電車利用です.朝岡山を出て串本に着いたのが夕方でした.多分天王寺で昼食をとりました,スパゲティミートソースで250円也.

▲岡山駅スタンプ.近畿まわりの普通周遊券の一部.天王寺駅スタンプ.
 途中下車はしませんが,神戸市内に入ったことで,四国・九州の普通周遊券は全行程を完了しました.ここからの切符の使い方はとてもマニアックです.まず神戸市内から大阪までは北海道均一周遊券を使い,大阪で途中下車扱いとします(実際には降りません).そして大阪からは,大阪発着の,紀伊半島をまわりの普通周遊券の行程に入ります.上の切符に記載されているように,紀伊半島を一周した後,二見浦から参宮線,紀勢本線,関西本線,草津線を通って東海道本線へ出てから,京都,大阪へとまわる経路になっています.この周遊券は京都まで使い,そこからは再び北海道均一周遊券を使って北陸路へと進みます.

 お分かりのように,このコースでは,紀伊半島まわり普通周遊券の京都−大阪間,北海道均一周遊券の大阪−京都間を利用していないことになります.つまり,大阪−京都間往復分が無駄になるのですが,まあ,たいした損失ではありません.上の周遊券の値段でも分かると思いますが,二見浦から上記の経路を通って大阪まで行ってもたったの640円です.今なら大阪から京都までのJRの料金が560円ですから,学割周遊割であるにしても,本当に50年前頃は値段が違います.

 さて,精神的に旅行にも慣れ,いわゆる旅人の気分になってきました.「ホルモン」の影響でしょうか,手記にこんなことを書いています.

<306D きのくに7号車内にて>
 白浜まで座れたが,車両切り離しのため移動して,後ろの車両では立つことになった.そのとき,中山さん(仮名)によく似たかわいい女子高生がホロを通した向こうにいた.僕はじっとながめてうっとりしていた.彼女の横顔は何かしら暗く,魅惑的である.何か思い運命を背負っているような感じのする人であった.一度だけ瞳が合った.

 今これを書いていると恥ずかくなるような文章ですね.あの,当時は私は高校を卒業して間がないので,女子高生というのは同じ年代の人間ですから誤解のないように.まあ,恋に恋するモテない男の頭の中がさらしものになっている文章です(汗).

 この日は,潮岬ユースホステルに宿泊しました.

▲潮岬ユースホステルにて.ユースホステルのスタンプ.撮影は3月19日.
第2節 近畿・北陸・東北編 / 1973.3.19. Mon.
第10日 潮岬観光
...[潮岬観光]...串本(10:25)−<紀勢本線/128レ>−多気(16:38)=(16:39)−<参宮線/847D>−伊勢(17:04)=(17:19)−<1328D>−二見浦(17:28)

▲潮岬で見た日の出.太平洋から昇ってくる日の出を見たかったが間に合わなかった.
 朝は6:00に起床しました.太平洋の水平線から出る日の出を見に行こうという予定していましたが,海岸へ行ったときには,すでに日は昇っていました.朝食をとってから潮岬観光に出かけました.観光といっても灯台と奇抜な海岸線があるだけの感じです.まずは,本州最南端の碑が立っているところへ行きました.この旅行では,あちこちの突端,岬へ訪れることが多かったですね.○○最端という地名に執着していたようです.

▲日本最南端の碑,潮岬の奇抜な海岸を背景に.水平線が円く見えるのはレンズのせい?
 次に,潮岬の灯台を見学することにしました.灯台に着くと,5人組の女子高生の一団が,灯台の上から手を振っていました.大きな声で写真を撮ってもいいかと聞くと,OKということでしたので,パチリ.その後,灯台の下で一緒に記念写真を撮りました.この写真は旅行後に送ってあげました.今なら携帯電話で撮ってすぐに送信ってな感じになりますけど,アナログ時代ですね.旅行もだんだんと,観光地をめぐるだけでなく,人との出会いと交流を求めるものに変わってきました.こういったことはどちらかといえば苦手な三人組ですが,少し行動的になり始めましたね.

▲潮岬灯台にて.大阪からの女子高生5人組と一緒に.同じ一団の灯台上での写真.
 もちろん灯台にも登りました.入燈料はなんと10円! その後5人組とは別れ,海辺の方に行くことにしました.海岸は侵食が激しく荒々しい感じで,灯台は突端の海岸段丘上に設置されていました.

▲潮岬灯台.太平洋の波が打ち寄せる海岸.段丘地形がよく分かる.灯台は段丘の突端に.
 予定では12:13の急行きのくに2号に乗って紀伊勝浦へ,そこで急行はまゆう2号に乗り換えて二見浦へ行くことになっていました.私は,山陰線の普通列車の旅が実現できなかったことが心残りで,友人とは別行動をとることにしました.一足先に,串本10:25発の普通列車128レで移動することにしました.友人とは二見浦駅で待ち合わせです.普通列車車窓からは,奇景橋杭岩を見ることができました.

▲橋杭岩.128列車の車窓から.串本駅スタンプ.
 やはりローカル列車には地元の空気感があって,旅している気分になれます.午前中の列車ですが,地元の高校生が多く乗り降りしていました.みんな笑顔が素敵で,楽しそうに話しています.きっと,春休み前の短縮特別時間割なのでしょうね.途中新宮駅で駅弁を買って昼食としました.「さんまずし」という初めて食べるものです.さんま一匹を開いてつくったきれいなお寿司です.味はさば寿司に似ていました.とてもおいしく,この当時でも200円は安いと感じました.

▲「さんまずし」の包装と中に入っていた説明書.
 128列車は少し遅れが出ましたが,乗り継ぎの多気駅では次の列車が待っていてくれました.どこで聞いたのか,「新宮節」の歌詞が手記に記されていました.ネットで調べると,かけ声のところは違っているみたいですが,手記はどこから書きとったのでしょうか,今では不明です.そのまま記述しておきます.

1.新宮よいとこ十二社様の, セノヨヤサノセ
  神のましますよいところ, エッサエッサ ヤレコノサ ヒーヤリハリハリセ
2.新宮三千万石に,セノヨヤサノセ
  すぎた丹鶴沖見城, エッサエッサ ヤレコノサ ヒーヤリハリハリセ
3.お燈祭りは男の祭り,セノヨヤサノセ
  山の火の滝下り龍, エッサエッサ ヤレコノサ ヒーヤリハリハリセ

 二見浦で友人2人と出会い,その日はユースホステル太江寺で宿泊です.場所は,鳥羽行きバスで4分,江海岸下車,徒歩300m,と記録しています.ユースホステルでは,宿泊者全員が参加してオリエンテーションが開かれます.私の友人もだいぶん解放感が出てきたようで,気に入った女の子の隣にあっという間に陣取って,いろいろと話しかけていました.いやはや,若いオスの旅行になりつつありますな.

▲ユースホステル太江寺にて.二見浦駅スタンプ.
第2節 近畿・北陸・東北編 / 1973.3.20. Tue.
第11日 二見浦から一気に金沢へ
二見浦(8:21)−<参宮線・紀勢本線/830D>−亀山(10:09)=(10:35)−<関西本線/335D>−柘植(11:12)=(11:19)−<草津線/729D>−草津(12:15)=(12:28)−<東海道本線/777M>−京都(12:52)=(14:02)−<東海道線・北陸線/8401M 特急雷鳥6号>−金沢(16:55)

 当初の予定では,名古屋に出てから北陸へ行こうかと相談していました.なぜこちらにしたのかは今となっては分かりませんが,紀伊半島のつけ根を横断する国鉄のルートは,神戸在住の人間はまず利用しないルートです.このころ伊勢に行くのには,だいたい近鉄を使うのが普通でしたから.ま,今日もひたすら移動の一日です.亀山駅での乗り換えの間に,通過証明写真を撮りました.

▲紀勢本線と関西本線の分岐点亀山駅にて.駅スタンプも.
 普通列車ばかりの移動で京都に着きました.京都では焼きそばで昼食,250円.金沢への移動は,当初の急行立山から特急雷鳥に変更しました.金欠旅行での特急利用は,最初の新幹線に次いで2回目です.松山でとった指定席特急券,3つの座席をどこにするかはトランプで決めたのでした.私がはぐれ,他の客の隣に一人で座ることになっていました.しかし私の隣には若い女性旅行者が座りました.別に何があるわけでもないのですが,ちょっと温かい気持ちで金沢まで旅することができました(友人は話しかけろ話しかけろとうるさく,もう完全にオス状態になってますな).

 特急は北へと走り,敦賀を過ぎてから,北陸トンネルという,当時日本で最も長いトンネルを通過しました.全長13,870mあり,通過するのに7分52秒かかりました.なお,現在は神戸の新幹線六甲トンネルが最長だそうですが,狭軌の陸上トンネルでは現在でも最長だそうです(Wikipedia).

 金沢での宿泊地は,松井屋ユースホステルです.ベッド数15の小さなユースホステルです.男は私たち3人だけで,あと11人はすべて女性でした.やはり金沢は女性に人気のあるところのようですね.

▲松井屋ユースホステルにて.金沢名物俵屋のあめ」のパンフレット.
第2節 近畿・北陸・東北編 / 1973.3.21. Wed.
第12日 金沢市内観光,そして輪島へ
金沢(11:52)−<北陸線・七尾線/335D>−輪島(15:10)

 今日は,金沢市内見物です.昨日ユースホステルで知り合った,東京から来た3人組の女性たちと一緒に犀星碑,忍者寺へ行きました.私たちは,もうすっかり,旅する女性に声をかける状態になってしまいました.見学地の関係で,忍者寺で彼女たちとは別れ,私たちは兼六園,俵屋さんへ行くことにしました.

▲室生犀星の詩が刻まれた犀星碑の前にて.東京から来た女性たちと同行.
 松井屋ユースホステルのすぐ近くに犀星碑があります.犀川のほとりにある犀星碑の前で,彼女たちと記念写真を撮りました.この碑には室生犀星の「小景異情」の一節,あんずの詩が刻まれているそうです.文学には疎く,聞きかじりです.そして犀川を渡り,次は忍者寺(正しくは妙立寺といいます)に行きました.ここは予約が必要とメモしていますが,いつ予約したのか,記録がありません.ここは写真がないので,撮影禁止だったのかなぁ.

▲忍者寺の栞とスタンプ.
 次は俵屋へ行きます.このあめ屋が有名になったのは,国鉄の DISCOVER JAPAN キャンペーンポスターで紹介されたからです.とても素敵なポスターで,多くの人に好評を得ていたようです.二人の旅行者らしい女性が俵屋の前を通るおばあさんに笑顔で挨拶しているような構図になっています.今でもネットで検索するとポスターが出てきます.もちろん水飴を買いました.

▲「俵屋」の前にて.あめに付いていたパンフレット.
 金沢市内観光の最後は,兼六園です.加賀藩によってつくられた庭に起源を発するそうで(Wikipedia),日本三名園の一つです.入園料は100円でした.ここの撮影スポットは,なんといっても虹橋とことじ灯籠.ことじ灯籠がまさに琴柱(ことじ),緩く湾曲した虹橋が琴に相当するそうで,琴柱であることじ灯籠が琴である橋の上に乗るように撮るのだそうです.ユースホステルで言われた通りに三脚をセットし,撮影しました.

▲兼六園にて.ことじ灯籠を入れた虹橋.
 金沢発11:52の列車に乗らねばなりませんので,金沢駅に急ぎました.駅では,3月28日に乗る予定の狩勝3号の寝台券を買う予定にしていましたが,時間がなく,次の日に購入することにしました.しかしこれが失敗,寝台券は結局とることができず,予定変更を余儀なくされました.切符を買う余裕もなかったので,駅スタンプも押す余裕がなかったようです.ここから北陸線・七尾線に乗って,輪島へ行きます.

▲七尾線で出会った蒸気機関車.C56 124.
 今日の宿泊地は,輪島長楽寺ユースホステルです.ユースホステル宿泊が続き,だいぶん慣れてきた感じがします.ここには新館ができていて,そこに入ることができ,新しい施設の中でぐっすり眠ってしまったようです.このユースホステルでの活動については,ほとんど記録がありません.明日は新潟の方まで進みます.

▲輪島長楽寺ユースホステルにて.本ユースホステルのスタンプ.
第2節 近畿・北陸・東北編 / 1973.3.22.Thr.
第13日 輪島から新潟へ
輪島(9:04)−<七尾線/306D>−津幡(11:39)=(11:55)−<北陸本線/501M 立山1号>−糸魚川(13:49)=(13:54)−<北陸本線/245レ>−直江津(14:39)=(16:06)−<信越本線/2081D 急行赤倉>−新潟(18:03)=()−<越後線>−白山()

▲輪島駅は七尾線の終点.線路はここで終わりになる.輪島駅スタンプ.
 輪島の町は,どことなくさみしさが漂う町に感じました.輪島の質素な町並みに,輪島塗器の店がこぢんまりと店の軒を出していました.大きな製造元のようなところもありました.能登半島の街はひっそりとしていました.

 輪島発9:04の列車に乗って移動を開始しました.七尾線の列車では女の子達4人組と知り合って,富山まで同行しました.旅先でいろいろな人と交流を持つ楽しさを覚え始めたみたいです.七尾線と北陸本線の分岐点が津幡駅です.津幡から富山を通って糸魚川へ向かいます.富山では大好きな駅弁「ますのすし」を買いました.この当時でもお茶と合わせて400円していました.今は確か1,000円以上していると思います.当時から人気の駅弁でした.

 北陸本線は,現在は米原から金沢までとなっていて,これより北の方は,石川県内の「IRいしかわ鉄道(金沢−倶利伽羅間)」,富山県内の「あいの風とやま鉄道(倶利伽羅−市振間)」,新潟県内の「えちごトキめき鉄道の日本海ひすいライン(市振−直江津間)」という名称の,各県単位で運行されている第三セクター鉄道となっています.これらは北陸新幹線の開通に伴って経営分離されたそうです.

▲輪島駅発行の急行券.津幡−輪島間は北海道均一周遊券では入れない区間なので購入.
 直江津では30分足らずの乗り換え時間がありましたので,途中下車し,駅前を少し歩いてみました.手記のスペアインク(万年筆で書いています)を買うという理由もありました.商店街の軒は,雪がたくさん積もってもいいようにでしょうか,とても頑丈につくられていて,2列になっていました.内側は通路用で,外側は雪かきをするためだろうと思います.雪国に生きる知恵を感じました.こういうのを写真に撮っておかないといけませんね.でも,雪国に来た実感がしました.ただ,今年は結構暖かく,新潟なのに春の息吹が感じられるほどです.雪はもう山頂付近にしか見ることができませんでした.

 直江津では3月28日の寝台券が取れませんでした.この時代でも北海道の寝台券,競争が激しいです.直江津からは急行赤倉に乗って,新潟へ直行.今日も移動が中心になってしまいました.1ヶ月足らずで日本一周するというのは,こんな感じになるんですね.今日の宿泊地は新潟の泉荘ユースホステルです.新潟駅から越後線に一駅入った白山駅で下車たところにあります.ここはユースホステルらしくないユースホステルで,普通は置いていないテレビなどが置かれていて,旅館みたいでした.

▲泉荘ユースホステルにて.
第2節 近畿・北陸・東北編 / 1973.3.23. Fri.
第14日 新潟からひたすら青森へ移動
白山(7:07)−<越後線>−新潟(7:12)=(7:19)−<白新線・羽越本線/811D 急行羽越1号>−秋田(12:00)=(13:58)−<奥羽本線/501レ 急行きたぐに>−青森(17:09)

 今日はひたすら北へ向かって移動する日です.予定では,新潟から急行「きたぐに」に乗って一気に青森まで行くことにしていました.「きたぐに」は,大阪発青森行きの人気のある急行で,以前北海道へSLの写真を撮りに行ったとき,あまりの混雑のため大阪で乗るのを止めたことがある列車です.この日も混雑が予想されましたが,早くてすいている急行「羽越1号」がありましたので,これでまず秋田まで行くことにしました.長期間の旅行では,座れることが重要で,体力温存のためにも柔軟な予定変更が大切です.均一周遊券は急行に乗り放題なので,自由席である限り,何に乗っても料金は変わりません.

▲急行羽越1号の車窓から見た日本海.窓際の箱は俵屋のあめ.
 写真のように,窓を開けて乗っています.新潟を過ぎてのことですから,この日は相当に暖かかったことが分かります.おやつに時々食べていた俵屋のあめが窓際に置かれています.あろうことか,このあめ,秋田で降りたとき,この列車に置き忘れてしまったのです.

 秋田では2時間近くの乗り継ぎ時間があります.ここで,帰りの青森発上野行きの寝台特急「ゆうづる」の寝台券を買う予定でしたが,お昼の段階でもう売り切れていました.この旅行で唯一豪華なブルートレインでの旅程で,楽しみにしていたのに残念です.今考えてみると,1週間後の30日は金曜日の夜になります.夜行で移動するには最もよい曜日でした.この当時はネット予約なんてものはありませんから,1週間前の指定券発売開始日にみどりの窓口に並んで,早い者勝ちという時代です.新潟から8:56発の急行「きたぐに」にすれば,新潟駅で1時間以上時間があったので,ここでみどりの窓口が開くと同時に買うことができたかも知れません.だんだんと頭が回らなくなってきていますね.手記にはこのことを次のように書いています.

 帰りの寝台券が全然買えませんでした.よってまた座席で寝るわけです.血湧き肉おどる出来事でした.

 「血湧き肉おどる」なんて,やけくそみたいな表現で,他人事みたいですが,疲れがたまっていたのでしょう.ちなみに,「血湧き肉おどる」というのは,この当時はやっていた松本零士さんの漫画,「男おいどん」によく出てくるフレーズでした.

▲交流電気機関車,ED75.真っ赤な車体である.秋田駅にて,同駅スタンプ.
 急行「きたぐに」は青森に着きました.うとうユースホステルが今日の宿泊地です.まっすぐ向かいました.いよいよ明日から北海道です.四国,九州,本州と,予定のところはだいたいまわることができました.北陸,東北路はユースホステルの連泊でしたが,あすからは車中泊とユースホステルの交互泊になります.長期旅行は体力勝負です.うとうユースホステルには女性客は2人だけ.この時期,北へ来るほど女性旅行者は少くなってくるようです.

▲うとうユースホステルにて.暗くて写真失敗! うとうユースホステルのスタンプ.