銀河鉄道にようこそ
 「銀河鉄道」というタイトルは,宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」から由来しています.私は,小さいころ昆虫少年で,ローカル鉄道に興味を持つ普通の男の子でした.だからかどうか分かりませんが,自然科学的な世界を持っていた宮沢賢治,そして現世と冥界をつなぐといわれる空想的な「銀河鉄道」の不思議な魅力に,自然と惹かれていたようです.そのころの趣味,鉄道の覚え書きノートに「銀河鉄道」という名前をつけ,また学生時代に自身と向き合った日記にも「銀河鉄道」というタイトルをつけました.そして現在,その終着駅が少し先に見えてきた私にとって,「銀河鉄道」は,また若いころとは少し違った意味を持つようになりました.

 このサイトは,「宮沢賢治」や「銀河鉄道の夜」のことを掘り下げようとするページではありません.「銀河鉄道」という,いわば人生という乗り物に乗った私が,その道中に,立ち寄ったり,見たり,聞いたり,考えたりしたことを,書き留めたサイトです.



急行銀河のプレート  この写真は,現JRがまだ国鉄時代だったころ,神戸発東京行きの寝台急行「銀河」のプレートです.この時代,急行は地名,特急は自然物の名称をつけるのが慣例でした.そんな中で,急行に自然物の名称がついた数少ない列車でした.その頃中学生で神戸に住んでいた私は,この列車に乗るのが夢でした.そして中学三年生の時,東京からの帰りにこの列車に乗る夢が叶いました.乗ったのは寝台車ではなく,スハ44系という型の座席指定の客車でした.

 このときの忘れられない一つ記憶があります.このころの列車の最後部の客車は,次の客車への通路口がそのまま開放された状態になっていて,遠ざかっていく線路を,レールを刻む音を聞きながらじかに見ることができました.東京を出てすぐに,鉄道少年の私はそこへ行きました.すると,車掌室の向かいの小さなボックスに,その当時はほとんど見られない長髪で,やや派手な若い男の人が座っていて,目を合わせました.ほおにホクロがあって,どう見てもザ・タイガースの沢田研二さんに見えました.今となっては事の真偽は不明ですが.不思議な体験でした.

 まあ,この話は別として,この急行銀河は,銀河鉄道という名称につながって,今でも私の心の片隅に残っている思い出です.

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