鉄道と旅 1970s
姫路駅のSLたち 1970年11月1日,1971年2月10日 [山陽本線]
 ここではSLのいる姫路駅の風景を紹介します.姫路市といえば兵庫県では2番目に大きな都市ですが,1970年代の初めころは,3つのローカル線を走るSL旅客列車のターミナル駅になっていました.立派な機関区もあって,SLが集結する基地のようでした.

 山陽本線の姫路駅から出ている3つのローカル線は,生野を越えて和田山までつながる播但線,新見まで延びる姫新線,そして飾磨港線です.下の写真は姫新線の823列車の発車風景です.黒い煙が大きく横に流れていますが,それを向かい側のホームの人々がながめています.煙をうっとうしく感じているのでしょうか,それとも迫力に圧倒されているのでしょうか.加古川駅でもそうでしたが,人々が蒸気機関車の姿を眺めている風景は,あちこちで見られたものでした.

黒煙を上げて出発する姫新線の823列車とそれを見る人たち,C58 241.1971.2.10
▲黒煙を上げて出発する姫新線の823列車とそれを見る人たち,C58 241.1971.2.10.
左:飾磨港線の貨物2492列車,C11 252.1971.2.10 右:黒煙を上げて出発する姫新線の823列車,C58 241.1971.2.10
▲左:飾磨港線の貨物2492列車,C11 252.1971.2.10 ▲右:黒煙を上げて出発する姫新線の823列車,C58 241.1971.2.10.
 飾磨港線の記憶はほとんどありません.上の写真のようにC11が貨物列車を引いて走っていたことを覚えているくらいです.旅客列車の本数も非常に少なかったのではないでしょうか.ネットで調べると,末期には1日1往復しかなかったそうです.姫新線には蒸気機関車が引く旅客列車がまだこの当時は健在で,C11が引く4桁の列車番号の旅客と,C58が引く3桁の列車番号の旅客が一日に何本か走っていました.もう一つが,播但線で,寺前までの普通列車をC11が,生野峠を越えて和田山までの普通列車をC57が引いていました.姫路駅の東の方(だったと思います)には,姫路第一機関区があって,C57,C58,C11などが,これらの線で働いた体を休めていました.もちろん許可を得てから機関区を見学させていただきました.

姫路駅を発車するC11牽引の寺前行き旅客列車
▲姫路駅を発車するC11牽引の寺前行き旅客列車,C11.1971.2.10.
姫路の機関区で休むC57 93
▲姫路の機関区で休むC57 93.1971.2.10.
 1970年の秋,まもなく消えると噂されていた播但線のSLの撮影に出かけました.その朝,初電で三ノ宮を出発すると西明石で953Mに連絡し,姫路駅に6:29に着くことができます.そして姫路駅で,朝に発着するSLたちを撮影しました.姫新線や播但線の通勤列車として,SLの引く旅客列車がたくさん発着する時間帯です.これらを紹介していきましょう.

 朝姫路駅に着いてまず最初に入ってきたのは,播但線和田山を早朝に出発したC57 23牽引の632列車です.列車番号からわかるように,これは和田山の姫路行き始発列車でしょう.姫路駅到着6:42です.

播但線和田山からの姫路行き始発列車632列車,C57 23
▲播但線和田山から姫路行き始発列車632列車,C57 23.1970.11.1.6:42'.
 続いて姫新線の1822列車が6:57に入ってきます.C11 178が牽引していました.これもおそらく列車番号から見て,姫新線から姫路駅に着くC11牽引の始発列車でしょう.姫新線からの列車は,姫路駅の西1番線に入ります.背景に姫路駅から手柄山まで走っていたモノレールの線路が見えます.Wikipediaの記述によりますと,このモノレールは1974年4月11日から運転を休止,1979年廃止されたそうです.

 下のC11の引く1822列車は,次の1971年の2月10日(上のカラー写真を撮った日)に訪れたときにはDE10が引いていました.このころのようにSLを毎日のように追いかけていますと,SLがだんだんと姿を消していく様子が実感できます.

姫新線の通勤列車1822列車,C11 178
▲姫新線の通勤列車1822列車,C11 178.1970.11.1.6:57'.
姫路駅に停車しつつある1822列車,C11 178
▲姫路駅に停車しつつある1822列車,C11 178.1970.11.1.6:57'.
姫路駅に到着した1822列車,C11 178
▲姫路駅に西1番線に到着した1822列車,C11 178.1970.11.1.6:57'.
1971年2月10日の1822列車.DE10が牽引している,DE10 1065
▲1971年2月10日,DE10が牽引している上と同じ1822列車.DE10 1065.1971.2.10,6:57'.
 播但線は東1番線からの発車です.姫新線の1822列車が着いたすぐ後には,播但線7:09着のC11牽引1622列車が入線するのですが,これは撮影しませんでした.そしてそのすぐ後には,7:14発の播但線の1625列車が発車を迎えます.姫路から発車するC11牽引の播但線列車は,C11がバック運転します.これは寺前駅に転車台がないためです.少年が機関士と何か話しています.きっと鉄道好きの少年なのでしょうね.といっても,この時期,私もこの少年と年齢は大差ないはずでした.

 1625列車が発車したとき,先の1822列車を引いていたC11 178が単機で横の線路を走っていました.そしてすぐにまた,バックで戻ってきました.おそらくまた,次の列車を引くために移動しているのでしょう.

播但線の3番列車,寺前行き1625列車,C11 252
▲播但線の3番列車寺前行き1625列車,少年が機関士と何か話している.C11 252.1970.11.1.
1625列車が発車したとき,1822列車を引いてきたC11 178が手前を単機で走り抜けた
▲1625列車が発車したとき,1822列車を引いてきたC11 178が手前を単機で走り抜けた.1970.11.1.7:14'.
1822列車を引いていたC11 178は単機ですぐに戻ってきた
▲1822列車を引いていたC11 178は単機ですぐに戻ってきた.1970.11.1.
 発着時刻を見ていただくとおわかりのように,朝の姫路駅でSLが引く列車をくまなく撮影するのは,駅を東の端へ西の端へと走り回り,またホームを移動してと,なかなか大変でした.次に東1番線へ移動し,C11の引く1624列車を出迎えます.寺前発の2番列車です.この列車はC11 360が牽引していました.記録がないのですが,7:33前後の到着のはずです.向こうの方に四国への宇高連絡船に接続する宇野行き急行鷲羽が走っているのが見えます.四国は私の第二の故郷といえる場所で,鷲羽にはよく乗ったものです.

 列車到着後,このC11は慌ただしく切り離され,バックして姫路の貨物駅(操車場?)の方へ移動していきました.そして2両の貨車を引いて戻ってきました.

寺前発の2番列車1624列車,C11 360.向こうに宇野行き急行鷲羽が見える
▲寺前発の2番列車1624列車,C11 360.向こうに宇野行き急行鷲羽が見える.1970.11.1.7:33'ころ.
入線してくる1624列車,C11 360
▲入線してくる1624列車,C11 360.1970.11.1.7:33'ころ.
慌ただしく切り離されたC11 360がバックしながら貨物駅の方へ移動していく
▲慌ただしく切り離されたC11 360がバックしながら貨物駅の方へ移動していく.1970.11.1.
2両の貨車を引いて戻ってきたC11 360
▲2両の貨車を引いて戻ってきたC11 360.1970.11.1.
 ちょうどそのとき,次の和田山からの2番列車,C57の引く634列車が入線してきました.C57 156が牽引しています.これも正確な時刻を記録していないのですが,7:51前後の到着のはずです.このように姫路駅に次々とSL牽引の通勤旅客列車が入線してくる時代でした.

C11 360の働きを横に見ながら次の列車634列車が入線する,C57 156
▲C11 360の働きを横に見ながら次の列車634列車が入線する,C57 156.1970.11.1.7:51'ころ.
634列車の入線状況.C57 156
▲634列車の入線状況.C57 156.1970.11.1.7:51'ころ.
634列車の入線状況.C57 156
▲634列車の入線状況.C57 156.1970.11.1.7:51'ころ.
 この後も,まだまだ姫路駅にはSLの引く列車が出入りし続けます.この日は播但線へSLの引く列車を撮影に行く予定なので,そろそろ姫路駅を離れることにしました.最後に姫新線の列車822列車(下り列車なのでこれ821列車の間違いかもしれません)を見に行きました.駅売りの方が駅弁やお茶,雑誌などを売っていました.コンビニがない時代,通勤の朝食を買っているのでしょうか,何かを買い求める人もいました.

発車を待つ姫新線の822列車?.C58 17
▲発車を待つ姫新線の822列車?.C58 17.向こうのホームでも駅弁を売っている.1970.11.1.
SLが出発を待つ姫路駅で何かを買う人と朝のにぎわい.C58 17
▲SLが出発を待つ姫路駅で何かを買う人と朝のにぎわい.1970.11.1.
 8時過ぎ,611D列車で姫路駅を離れるとき,8:27発の播但線和田山行きの631列車が止まっていました.C57 23が牽引しています.このC57 23は先ほど,和田山の始発列車632列車を引いて姫路駅に入ってきた機番ですが,いつの間にか向きが逆になっています.C57は,C11とは違って,上りも下りもきちんと前向きで列車を引きます.姫路駅にも和田山駅にも転車台が備えられているからです.この日はこの列車を生野峠で待ち受けて撮影しようという計画で,そのため1本早い列車で姫路を離れます.このあとの生野峠の記録は,また別のページで紹介します.

 ところで,この632列車を引いてきた機関車の運用は,632列車(和田山4:38発−姫路6:42着),631列車(姫路8:27発−和田山10:30着),692列車(和田山11:40発−姫路16:09着)となっていたようでした.

発車を待つ播但線の631列車.C57 23
▲発車を待つ播但線の631列車.C57 23.1970.11.1.8:27'発.
 SLでにぎわっていた姫路駅も,このあと姫新線が1971年,播但線が1972年と,すべてがディーゼル機関車に置き換えられてしまい,煙のない姫路駅へと変貌してしまいました.これらの写真は,姫路駅のSLのにぎわいを記録した,最後に近い写真だと言えるかもしれません.