鉄道と旅 1970s
播但線のSL (1) 平地を走るC11/1971年2月10,12日 [播但線]
 今日は播但線のC11を紹介しましょう.

▲姫路の方に向かう1626列車,C11 363.甘地−福崎間.1971.2.12.
 播但線のC11は,この時期には,姫路−寺前間の普通列車を引いていました.姫路−京口−野里−砥堀−仁豊野−香呂−溝口−福崎−甘地−鶴居−新野−寺前,と,市川に沿って姫路から中国山地の方に入っていきます.寺前を過ぎると,長谷−生野,と生野峠にかかり,分水嶺を越えて,新井から和田山の方へ下っていきます.C11は,この勾配にさしかかる手前まで運転されていたということになります.生野峠を越える列車を引くのはC57の役割です.

▲下り6627列車,C11 177.下りはバック運転である.1971.2.12.
▲上り1630列車,C11 345.上りは通常の運転となる.1971.2.12.
 姫路から福崎に向かう下り列車は,すべてバック運転になっていました.そして寺前でそのまま機関車が前に付け替えられ,通常の向きになります.下の市川沿いの写真は列車番号が奇数なので下り列車.つまり,写真の左下の方に向かって走っています.ところで,当時は播但線にSLを撮影に来る人も増えて,歩いているとよく出会ったものです.特に2月10日は生野峠をC57三重連のイベント列車が走るので,たくさんのSLマニアと会いました.三重連のためではありませんが,溝口駅には,SLの時刻表が置いてありました.

▲溝口駅のSL時刻表.ずいぶん黄ばんでしまった.
 この時刻表を見ると,C11の引く普通列車は4桁の列車番号で,上りが8本,下りが5本になっています.上り下りで本数が合っていないので,列車の運用から考えると,3本の下りが回送になる勘定になります.この当時こういうことに気づかなかったのですが,下の市川沿いを走る列車の写真を見てはっと気づきました.この1627列車には,後ろにC11がぶら下がるようにつながっていて,しかも客車が10両編成になっています.こんな客の少ないローカル線に10両編成の列車を走らせるのは変ですから,これが回送を兼ねた列車だったのでしょう.今思うと確かめておけばよかったと思っています.

▲市川に沿って走る播但線.1627列車.C11 345+C11 311.見にくいが後部にもう一台つながっている.1971.2.12.
 さて,下り列車は,寺前に着くと3番線に入線し,停車するとすぐに係員が来て,機関車をはずします.「ボーッ」と一声,客車を置いてC11は一台で生野の山を背景に走り出します.駅を出たところで停止,ポイントが切り替えられて1番線に入って給水をします.

▲朝の日射しを受けながら給水をするC11 177.寺前駅.1971.2.10.
 しばらくは静寂の一時が訪れます.石ころが敷き詰められたプラットホームは,列車が飛び散らす鉄粉のサビが着いて赤茶色になっています.そこにじっとたたずんで朝日を浴びながら給水しているC11 177を見ていると,日頃の生活の雑念も消えて,本当に落ち着いた気持ちになれたのを覚えています(と当時の手記に書いてあります).

▲給水中に,動力部の点検をしている.1971.2.10.寺前駅.
 カンカンと車輪をたたいたりして点検は怠りません.毎日機関士の方も大変だったと思います.やがて,時間が来たら,C11 177は黙ってたたずむ客車の方に誘導され,そして先頭につながれて,出発を待ちます.

▲出発を待つ3番線のC11 252.1632列車.1970.11.1.寺前駅.
▲給水に向かうC11 177.1971.2.10. 左下枠:DISCOVER JAPANで各地に設置された駅スタンプ,寺前駅.
 この約1年前に訪れたときの写真が出てきましたので,追加しておきます.

▲1629列車,C11252,溝口−福崎間.1970.1.25.
▲1629列車,C11252,溝口−福崎間.1970.1.25.