鉄道と旅 1970s
四国のSLを追って(番外)呉線へ/1969年7月30-31日 [呉線]
四国均一周遊券のうまみを生かして,予讃線堀江駅から仁堀航路を使って,呉線のSLを見に行きました.ところでみなさんは仁堀航路ってご存じでしょうか? 四国と本州を結ぶ国鉄連絡船といえば宇高連絡船が有名ですが,当時はとってもマイナーなもう一つの連絡船が,予讃線堀江駅と呉線仁方駅の間を就航していたのです.後にも先にも,私もこの連絡船に乗ったのはこのときだけでした.ネットで調べると,1982年に廃止になったとのことです.
さて,呉線といえば,この当時は,C62やC59といったかつての花形SLが生き残っている線区ということで有名で,さらに,これらが急行列車「安芸」を列車サインを付けて引いていることで,多くの鉄道ファンが訪れたところです.私も,今回の訪問で味を占め,翌年の春にもまた呉線を訪れました.
▲(左)下り貨物列車,D51.安登−安芸川尻間.1969.7.31./(右)38列車急行安芸,C62 15.安芸川尻間−安登.1969.7.30.
◆◆◆ 7月30日
高松を8:04発の急行うわじま4号に乗り今治へ,そこで普通1125列車に乗り継いで堀江に着いたのは11:31でした.堀江港12:15発の4便,安芸丸に乗って,仁方港に着いたのが14:20でした.
さて,仁方について休む間もなく安登駅へ移動,安登に付いたのは14:59でした.急行安芸は寝台列車で始発駅を出るのも遅いので,この時間でも十分に間に合います.さっそくロケハンもそこそこに,上り急行安芸の撮影に挑みました.もっとも,今回は8mm優先にしました.もちろんテレコも持参しています.
▲荷物42列車(C62 41)と38列車急行安芸(C62 15).安芸川尻間−安登.
▲荷物42列車.C62 41.安芸川尻−安登.
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今日はこれ以後はあまりパッとしないので,安登に戻り,16:21発の645D列車で広島に行きました.途中の海田市駅では,バック運転のC6237が牽引する926列車を見たり,駅に止まるEF59を撮影したりしました.そして宿泊地は,広島ユースホステルです.
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▲広島ユースホステルのスタンプ.
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926列車.C62 37.海田市駅.
▲EF59 7.海田市駅.安全カラーが塗られており,おそらく入れ換え用なのだろう.
◆◆◆ 7月31日
広島ユースホステルを7:00に出て,広島発7:44の328M電車に乗りました.この旅行で「電車」に乗るのは久しぶりです.向洋で降り,駅のホームでD51 1058の引く貨物列車を撮影し,呉線のSL普通列車624レに乗り換えました.
▲向洋駅に停車する,貨物676列車.D51 1058.D51は4桁の車両台数があるのですね.向洋駅.
▲呉線624列車,D51 755.SL列車に乗って,撮影に出かける.向洋駅.
昨日までの晴天と違って,朝から曇り空,天気は持つかな?と案じていましたら,列車が進むにつれて雨が降り出し,目的の安登駅に着いたときには本降り.安登近辺で下りの急行安芸を撮影しようと思っていましたが,この雨では気持ちが萎えてしまいました.しかたなく,安登駅のホームで,通過する急行安芸を撮影することにしました.雨が降って少し気温が低かったのか,煙突からです水蒸気が白く湯気になっていました.
▲37列車,急行安芸,C59 161.ドラフトの音がC62とは少し違う.安登駅.
急行安芸は,C62かC59が牽引することになっているのですが,C59は台数が少なく,多くはC62が引くと聞いていました.やってきたのはC59牽引の安芸でした.曇っていた気持ちも少し晴れました.急行安芸は確か東京発呉線経由の広島行き寝台列車ですので,下りは午前中に通ります.
▲37列車,呉線経由広島行き急行安芸,C59 161,上のビデオ映像と同じ.安登駅.
さて,安芸号は安登駅で撮影しましたが,とにかくここまで来ているので,雨の中,安芸川尻の方に向かって歩いていきました.もちろん,次の上りの安芸号の撮影位置をロケハンすることが目的です.途中,D51の引く普通列車や貨物列車が通過する時刻になると適当な位置を見つけて撮影をしました.
▲D51の引く列車たち.列車番号不明.安登−安芸川尻間.
呉線の多くは海岸線に沿って走っており,何とか海と列車を同時に入れて写真をと考えましたが,適当に線路沿いを歩いただけではそんないいポイントが見つかるはずもありません.一番上左の写真などは,今思うとなぜ木の間から撮ったのか不思議ですね(笑).雨宿りしながらの撮影だったからかもしれません.
▲673列車,D51 761.安登−安芸川尻間.
そのうち雨も小降りになってきて,少し希望がもてるようになりました.安登から安芸川尻の間に,海岸線から少し離れて丘を登っていくようなロケーションがありました.上り列車が上り勾配に差しかかる部分で,大きくカーブしていて遠望もききいい感じです.ただ,電線がカーブの外側にあって,撮影位置から列車と重なります.これ以上歩いても仕方ないと判断して,ここで,上り急行安芸と,その前に通過する荷物42列車を撮影することにしました.
▲荷物42列車,C62 23.安芸川尻−安登間.
▲C59 161の引く38列車急行安芸.安芸川尻−安登間.
ここでは動画も撮りました.でも音声を撮っていません.ずっと以前の編集時にも見つからなかったのを覚えています.ということで,動画は音声なしになっています.
▲荷物42列車(C62 23)と38列車急行安芸(C59 161).安芸川尻−安登間.音声はありません.
さて,呉線に来た目的は達成できましたので,あとは帰りの船の時間まで,通る列車を撮影するだけです.そこで,安芸川尻まで歩いた後,645D列車で広の方に移動しました.広から安芸阿賀の方に歩いて,黒瀬川の鉄橋で撮影することにしました.街の中になると,障害物のない川が一番撮影しやすい場所になります.
▲黒瀬川の鉄橋を渡る922列車.C62 16.短い区間の往復運転はC62といえども逆進する.安芸阿賀−広.
上の922列車は,広島発広行きで,この鉄橋を渡るとすぐに終着の広に着きます.そして機関車を先頭に付け替えて,すぐに929列車として広島へ戻ります.
▲929列車,C62 16.上の列車が広から引き返してきたものである.広−安芸阿賀間.
朝夕は,C62,C59,D51の引く通勤列車が,広島と広(本当は呉までが目的だと思いますが)の間を,たくさん走ります.朝のうちのこの集団は,急行安芸を安登駅の方面で撮影するためにパスしてしまいましたので,夕方の方をまとめて撮ろうというわけです.922列車の次は,924列車です.
▲924列車,C62 15.広−安芸阿賀間.
上にも書いたように,これらの列車は広島−広間を走りますので,あまりいい撮影ポイントがないのじゃないかと思っていました.ゆっくり探せば,あるのでしょうが,まあ,一見さんではしかたありませんね.
▲荷1043列車,D51 755.安芸阿賀−広間.黒瀬川鉄橋.
▲362列車,D51.安芸阿賀−広間.黒瀬川鉄橋.
▲931列車,D62 15.安芸阿賀−広間.黒瀬川鉄橋.
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そろそろ帰りの列車の時刻が近づいてきました.広から仁方へ出て,仁方港から仁堀航路でふたたび四国に戻ります.広19:33発のC62 37の引く628列車で仁方へ移動しました.広から仁方へはわずか一駅.7分間の旅でしたが,この時期といえども,もうC62などという大型機の引く普通列車にはなかなか乗れないので,お別れにはちょうどよい列車でした.
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▲呉線で買った切符.「2等」という表記が時代を感じさせる.
左:最後に四国へ帰るときの切符.広から予讃線伊予北条までたったの360円!
右:小さな移動に使った切符.固い厚紙の切符が懐かしい.20円という値段表示にはビックリ!
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仁方港19:50発の7便,安芸丸で堀江港に着いたのが少し遅れて22:00,堀江駅に行って22:04発の1142D列車に(これ確か遅れた連絡船を待っていてくれたように記憶している)乗って今治到着が23:16.こんな夜中にと思うかもしれませんが,なんと四国内には夜行列車があったのです! 今治0:38発の急行うわじま9号で高松到着が3:25,そのまま高松始発4:37の普通列車531Dに乗り継いで,地蔵橋へ朝のハチロクやC11の列車を撮影に行きました.いやはや,今考えるととんでもない強行軍です.高校生の体力って,自分で言うのも変ですが,すごいものですね.この続きは次回.