鉄道と旅 1970s
伯備線のSL (1)布原信号場/1970年2月11日 [伯備線]
 この時代,各地に有名なSL撮影スポットがありましたが,伯備線の布原信号場もその一つでした.ここには,D51が三重連で走る定期列車があったからです.私もその当時の多くのSLファンの例に漏れず,ここを訪れました.D51三重連は確かに魅力ですが,ここは山岳地帯で,それ以外にも多くの列車が補機を付けて走っています.また列車の本数が多く,本当に次々とSL列車が通過します.1日付近を歩けば,十分SLの世界を堪能できる所でした.

 さて,岡山から中国山地にかなり入った所にある布原にSLを効率よく見に行くためには,どうしても岡山で始発列車に乗る必要があります.暗くなってから家を出て,岡山に着く最終列車に乗ります.そして岡山駅で始発を待ちます.当時は駅が閉まることはありませんでした.ブルートレインが丑三つ時に岡山に着いていたからでしょうか.到着した岡山駅では,C11 79の引く貨物列車が停車していました.

▲岡山駅に停車する貨物列車.C11 79.1970.2.11.
 布原は,新見の隣の駅です.岡山から行くと,姫路からの姫新線と合流したところが新見駅になりますが,布原はその新見の次の駅です.新見−布原−備中神代,と続きます.備中神代では広島からの芸備線が伯備線に合流します.ですからこの備中神代−新見間は,米子からの伯備線,広島からの芸備線,そして姫新線から伯備線に入るSL列車が次々と通る,SL銀座のようなところなのです.新見−備中神代間は,川面峠(こうもだわ)という峠(もっともここは伯備線はトンネルで抜けています)と阿哲峡と呼ばれる峡谷がある難所で,そのために列車の前後に補機がつき,重連,三重連の列車が数多く走ることになります.今日は,このあたりを歩きながらSLを撮影します.

823列車,C58 82.機番は少し怪しい?.新見−布原間
▲823列車,C58 82.機番は少し怪しい?.新見−布原間.1970.2.11.
 朝早く新見駅に到着し,そこで降りて,布原の方に歩き始めました.遠くにC58の引く旅客列車の汽笛が聞こえました.雪がうっすら残っている山間の田園地帯は,どこをとっても撮影適地という感じです.続いて逆向きのC58重連の貨物列車がやってきました.

473列車,C58+C58.新見−布原間.

▲473列車,C58+C58.新見−布原間.1969.8.2.
 三重連の列車は結構早い時間に走るので,先を急ぎました.そして有名な三重連の撮影ポイントに来ました.数え切れないほどの多くの鉄道ファンが同じ場所で撮影したことでしょう.今ネットで検索しても,ここで撮った写真がいっぱい見つかります.三重連の前に,D51重連の2492列車が走ります.三重連の露払いですね.三重連の撮影練習にはもってこいです.

2492列車.D51 376+D51.布原−新見間.一番上は布原信号場をまさに発車する2492レ.

2492列車.D51 376+D51.布原−新見間.一番上は布原信号場をまさに発車する2492レ.

2492列車.D51 376+D51.布原−新見間.一番上は布原信号場をまさに発車する2492レ.
▲2492列車.D51 376+D51.布原−新見間.一番上は布原信号場をまさに発車する2492レ.1969.8.2.
重連が真横を通り過ぎる迫力.
▲重連が真横を通り過ぎる迫力.1969.8.2.
 その後,程なくして,492列車が布原信号場に入り,発車のホイッスルが響き,遠くから三重連が走ってきました.勢いよく煙と蒸気を吐きながら走ってきます.とてもいい感じなのですが,いかんせん,予想撮影ポイントでは,蒸気のために機関車が隠れてしまい,三重連か何か分からなくなってしまいました.こういう失敗は良くあるのですね.播但線でもそうでした.三重連は,煙や蒸気がふくらむので3台目の機関車を入れるのが難しのです.でも三重連を撮る機会は,播但線生野峠のC58三重連のあとはもうありませんでした.

布原信号場を出るところの492列車.2492レ重連に比べると吐く煙の量が少ない.
▲布原信号場を出るところの492列車.2492レ重連に比べると吐く煙の量が少ない.1969.8.2.
2492列車.D51 376+D51.布原−新見間.一番上は布原信号場をまさに発車する2492レ.

492列車.D51 386.蒸気に隠れて分かりませんが,これはD51三重連.

492列車.D51 386.蒸気に隠れて分かりませんが,これはD51三重連.
▲492列車.D51 386.蒸気に隠れて分かりませんが,これはD51三重連.1969.8.2.
 来て早々目的の列車は通り過ぎましたので,あとはのんびりと通過する列車を撮影するだけになります.鉄道ファンたちも散らばって,思い思いの位置に移動し始めています.私も備中神代の方に向かって歩き始めました.布原信号場で停車する922列車を引くD51 749を,機関士さんを入れてアップで撮影しました.

922列車.布原信号場に停車.D51 749.
▲922列車.布原信号場に停車.D51 749.1969.8.2.
 布原信号場を通り過ぎてから,布原に入る921列車を遠くから撮影しました.ちょうど三重連撮影ポイントの反対側になります.

921列車,C58.布原.後方遠くに見える鉄橋が三重連の撮影ポイントである.
▲921列車,C58.布原.後方遠くに見える鉄橋が三重連の撮影ポイントである.1969.8.2.
同じ921列車.C58.布原信号場を出て備中神代へ向かう.
▲同じ921列車.C58.布原信号場を出て備中神代へ向かう.1969.8.2.
 少し歩き,多分布原から下り方面3つ目の鉄橋だと思います,そこで続いて後補機のついた,469列車を待ちました.この列車はD51が前と後に付いていますが,後のD51は386号機で,逆向きになって付いています.この後補機は,先の492列車,D51三重連の先頭車両D51 386そのものですね.多分新見で切り離されて,この469列車の最後部に接続されて,戻ってきたのです.

469列車.先頭車両D51 746.布原−備中神代間.布原から下り3番目の橋.
▲469列車.先頭車両D51 746.布原−備中神代間.布原から下り3番目の橋.1969.8.2.
469列車.上:先頭車両D51 746,下:後補機D51 386.布原−備中神代間.

469列車.上:先頭車両D51 746,下:後補機D51 386.布原−備中神代間.
▲469列車.上:先頭車両D51 746,下:後補機D51 386.布原−備中神代間.1969.8.2.
 
 このあたりが阿哲峡の峡谷なのですが,急斜面に川があって,なかなか撮影には難しい場所です.そこで,布原から下り方面一つ目の鉄橋まで戻りました.この場所は遠くに布原を発車する列車が望め,通り過ぎてからもう一度撮影できるという,布原のもう一つのポイントで,ネット上で同じような写真が見られるところです.下の2枚目と3枚目の写真を間に,位置替えのため猛ダッシュしたことは間違いありません.

891列車.C58 186+C58 179.布原信号場−備中神代.
▲891列車.C58 186+C58 179(後補機).布原信号場−備中神代.1969.8.2.
891列車.遠く布原を発車して,後補機をつけてやってくる.C58 186+C58 179.
▲891列車.遠く布原を発車して,後補機をつけてやってくる.C58 186+C58 179.1969.8.2.
891列車.今橋を通過するところ.布原−備中神代間.
▲891列車.今橋を通過するところ.布原−備中神代間.1969.8.2.
891列車.橋を通過して大きく右カーブに差しかかる.後補機が逆に煙を流しながら走る.
▲891列車.橋を通過して大きく右カーブに差しかかる.後補機が逆に煙を流しながら走る.布原−備中神代間.1969.8.2.