鉄道と旅 1970s
播但線SL (4) 秋の生野峠/1970年11月1日,11月24日. [播但線]
▲秋の生野峠.693列車,DD54 3+C57.カラー写真はカメラ不調でこれ一枚だけ.1970.11.24.
 生野峠を三重連が走る前の年の11月1日,播但線の長谷−生野間を訪れました.このときのこのあたりの自然の景色に惹かれ,どうしてもここを走るC57の写真を撮りたくなって,11月24日にもう一度撮影の旅を決意しました.姫路から生野の方へ入っていくと,列車の時間の関係で,どうしても生野に着くのが9時を過ぎてしまいます.さらにそこから歩いて撮影のポイントまで行くと,もうかなりのSL列車が通り過ぎた後になってしまいます.なにしろ高校の時分ですから,車で移動なんていう今のような状況は考えるべくもありません.

▲和田山の姫路行き始発列車,632レ.和田山駅.回送の補機DD54が連結されている.C57 11.1970.11.24.
 そこで,若かったですね,大阪から福知山を通って山陰本線の夜行列車で和田山へ廻り,和田山から始発に乗る予定を立てました.大阪21:45分発745列車で福知山到着が0:44,福知山で0:53発の829列車に乗り継ぎ,和田山到着が1:38です.ここで,播但線姫路行き4:38発の632列車を待ちます.この日程を今振り返ると,こんな夜中に普通列車が福知山線や山陰本線を走っていたことがウソのように思えます.まさに「日本国有鉄道」でしたね.移動手段に普通夜行列車を使う人もまだ結構いた時代です.

▲当時の撮影地メモ.11月1日,24日の撮影ポイントを後日書き留めたもの.右側が長谷方面.
 メモには残っていませんが,生野駅で降りて歩き始めたのだったと思います.図の3番(ゴム印の番号,以下同じ)の撮影ポイントまで歩いて,まず長谷方面から登ってくる貨物691列車を撮影しました.だいたい生野峠を登ってくる列車にはDD54の補機がC57の前に付いているので真横からのアングルを考えましたが,この691列車には補機がありませんでした.最後のダイヤグラムを見れば分かりますが,この691列車には補機がつかないんです.せっかくの資料をいい加減に見ていました.

▲下り貨物691列車.C57.少しシャッターを押すタイミングが遅れた.....1970.11.24.
 少しすると,今度は補機の付いた貨物列車690列車がやってきました.これは上り列車ですから,長谷へ向かう下り勾配を走ることになります.3番のポイントから少し線路に近寄って,そして山の斜面に上がって撮影しました.

▲上り貨物690列車.DD54 3+C57 93. このDD54は,私の乗ってきた632列車で回送されてきたもの.1970.11.24.
 さて次は下りの和田山行き姫路始発,631列車です.朝早く来たのでこういった列車が撮影できます.これは同じ鉄橋の反対側にまわり,4番のポイントでカメラを構えました.嬉しいことにこれも補機なし.鉄橋を真横からのアングルにする必要はありませんでした.これも資料を熟読していない失敗ですね.このC57は,門鉄デフと呼ばれる独特のデフレクタのついた,C57 11でした.これは,私が和田山から乗った631列車を引いていたものですから,姫路まで行って帰ってきたことになります.

▲下り和田山行き始発,631列車.生野峠の勾配を補機をつけずに登ってくる,C57 11.1970.11.24.
▲下り和田山行き始発,631列車.C57 11.1970.11.24.
 この日は,このあと,生野−長谷間のさまざまのポイントで撮影を試みましたが,線路の横に背丈の高い草が茂っていて,低い位置からの撮影はほとんど列車全体が写らないものとなってしまいました.この市川沿いに登っていく長谷−生野間は,景色はいいのですが,撮影ポイントの選択がなかなか難しいところです.一枚だけこの場所の雰囲気を伝える写真を載せておきます.

▲下り693列車,DD54 3+C57.市川の川沿いを上っていく.1970.11.24.
 この後,生野峠を越えて新井の方に下っていきました.生野峠のDD54補機とC57が引く貨物列車は播但線の特徴でもありますので,新井から登ってくる692貨物列車の写真を撮りました.蒸機はC57 11で,これは上の631列車を引いていたもので,和田山から戻ってきたのですね.

▲上り692列車.新井−生野間.DD54 3+C57 11.1970.11.24.
▲上り692列車.新井−生野間.DD54 3+C57 11.1970.11.24.
 最後に,同じ新井−生野間で,上り636列車を撮影して,その日の旅を終えました.この列車が,1971年2月10日に,三重連で走った列車になります.

▲上り636列車.新井−生野間.C57 46.1970.11.24.
 ◇◇◇ 11月1日の記録 ◇◇◇

 さて,この旅をしようと考えるもとになった11月1日の記録を最後に残しておきます.この日は,市川を含めた播但線生野付近の風景を中心に撮っています.生野に着いて少し歩き,長谷から生野方面へ登っていく631列車を撮影しました.この写真右方向に進むと生野駅があります.広々とした高原のイメージのする長谷−生野間の風景ですが,今はここを横切るように播但道が走っており,この風景はもう見られません.

▲631列車.C57 23.1970.11.1. 撮影ポイント1番.
▲631列車.C57 23.1970.11.1. 撮影ポイント1番.
 さらに長谷方面へと歩いて行きました.次は門鉄デフのC57 11が引く上り636列車が生野峠を下るところです.生野銀山の方から流れてくる市川をまたぐ鉄橋を渡っています.ここは,その下の写真の奥の方に写っているものです.撮影ポイントは5番になります.

▲上り636列車.市川をまたぐ鉄橋を渡る.C57 11.1970.11.1.
▲上り636列車.市川の畔を大きくカーブしながら走る播但線.C57 11.1970.11.1.
 上方から撮影すると,鉄道模型のジオラマのようです.実はこの写真から三重連の撮影位置を思いついたのですが,このときは,これが下り勾配で煙を吐いていないので,S57が煙に隠れずに写っているということにまで,気が回りませんでした.続いて補機を付けて生野から降りてきた692貨物列車です.

▲上り692貨物列車.DD54 11+C57 23.1970.11.1.
 次は,長谷から生野峠を登ってくる,補機付きの貨物695列車です.市川に沿っての鉄路を上ってきます.背景の山の斜面上に撮影ポイント5番があって,白く見える筋に沿って斜面を登り,そこから上3枚の写真は撮られています.この695列車の補機は機番がDD54 11で,上の写真の692列車を引いていたものです.長谷駅,または寺前駅でこの列車に付け替えられたようです.

▲下り695列車.DD54 11+C57 156.1970.11.1.
▲下り695列車.DD54 11+C57 156.1970.11.1.
 最後になりましたが,播但線の生野峠付近(寺前−青倉間)の昼間の列車ダイヤを掲載しておきます.当時の大切な資料となると思います.これを見ると,補機DD54は,長谷−新井間を,一日同じものが往復していることが分かります.注釈に「貨物の補機は632レで回送」とあるように,このDD54は和田山に所属しているようです.

▲播但線ダイヤグラム.寺前−青倉間.昭和45年10月1日.三角印はDD54補機がつく列車(画像をクリックすると拡大します).