鉄道と旅 1970s
小樽築港機関区と急行ニセコ/1970年3月27日 [函館本線]
この旅行最後のユースホステル,ニセコユースホステルで宿泊し,いよいよ北海道も今日一日となりました.今日は,小樽築港機関区へ出かけ,そのあとニセコにも乗車して,急行ニセコとそれを引くC62に密着取材?します.まずはニセコ関連のC62運用表をもう一度見ておきましょう.
▲急行ニセコ関連のC62運用表(再掲).
◆◆◆ 小樽築港機関区
小樽築港駅(機関区)は,現在,小樽から2駅札幌寄りにあります.倶知安6:12発の133列車で小樽築港まで行きました.小樽築港に着いたのは8:03.運用表で見ると,ニセコを引く2台のC62がいるはずです.C62 32は昨日の103列車で函館の方に行っているので,C62 2とC62 44がいるはずです(C62 3はこの旅行では全く見かけませんでした).
▲C62 44,蒸気を吐いて迎えてくれた(と感じられた).
機関区に見学をお願いするのはもう慣れっこになりました.本当にこの当時は,機関区の責任者の方は見学を快く承諾してくれて,「気をつけてください」で許可をいただけました.機関区に入ってC62を探すと,朝日を背にしてC62 44が蒸気をいっぱい吐いて迎えてくれました.
▲C62 2.
すぐ後にはC62 2もいて,どうやらこの2台が今日のニセコを引くようです.今日はどちらが本務機になるのでしょうか.
▲C62 2,C62 44そろい踏み.今日はどちらが本務機になるのだろう.
しばらくすると両機が動き始め,本務機がC62 2であることが分かりました.今日大沼公園で104列車を撮れば,スワローエンゼルの引くニセコが撮影できるのに,...などと考えながら,ニセコ牽引の重連が形づくられている姿を「取材」しました.
▲本務機のC62 2が前補機のC62 44の後に連結されようとしている.
▲連結器を操作し,確実に連結されたことを確認する機関区の方(偶然こちらを向かれたので目を隠しています).
▲急行ニセコを引く重連構成が完成した.
まずは,重連をつくるところから始まりました.本務機のC62 2が,前補機のC62 44の後からゆっくりと近づき,連結します.機関区の方は連結が確実になされたことをしっかりと確認します.これで重連構成が完成.次は水や石炭の補給に向かいます.蒸気をいっぱい吐いて移動開始です.
▲給水と石炭の補充に向かう重連.
さて,給水の見学に行く前に,周りを見ると,C12がいました.北海道へ来て大型蒸気ばかり見ていましたから,ちっちゃいC12 6を見て,なんか少しホッとして緊張感がとけた感じです.ネットの記事を見ると,小樽築港機関区の扇形機関庫はもうなくなっているそうですので,転車台と機関庫を入れた写真を選んでみました.
▲C12 6.小樽築港機関区.転車台と機関庫.
ニセコを引くC62たちは,少し向こうの方で,給水と点検を受けています.
▲給水と点検を受けるC62重連.
近づいていって,その様子を見学させていただきました.入念に足回りを点検されています.
▲点検作業を受けるC62重連.
すぐ反対側では,もう世代交代の足音がするかのように,ED76 511が止まっていました.そういえばこのC62が引くニセコもこのあと1年ほどで廃止になってしまいましたね.
▲ED76 511.
▲いよいよあとは出発時刻を待つばかりになったC62たち.
さて,いよいよ小樽築港を離れて,単機104列車として,小樽駅へ向かう時刻がやってきました.私も,機関区を離れ,小樽築港駅から出て行くこの単機104列車を撮影に行くことにしました.行く途中9600に出会いました.9644です.
▲9644.小樽築港駅.
しばらく待っていますと,単機104列車が,小樽築港駅から小樽に向かって走る姿が確認できました.
▲単機104列車.C62 44+C62 2.小樽築港駅.
単機104列車が通り過ぎた後,1191列車が小樽築港駅に入ってきましたので,パチリ.煙突の上縁が広がっていておもしろい形状をしています.
▲1191列車,D51 659.小樽築港.
◆◆◆ ニセコ乗車
私は,小樽築港10:30発の122列車で小樽駅に移動しました.小樽駅では,ニセコの先頭に,C62重連が取り付けられようとしていました.ここからはしばらく乗り鉄です.
▲104列車.小樽駅で先頭にC62重連が接続されようとしている.
急行ニセコは小樽駅を10:51定刻に発車しました.機関車のすぐ後は郵便車で,その息づかいを間近に感じることはできませんでした.ニセコは,小樽を出ると,余市,小沢(こざわ),倶知安と止まっていきます.
▲余市駅で1196列車を追い越す104列車急行ニセコ.
▲小沢駅で郵便物を積みおろしする駅員(局員?).
▲倶知安駅.石炭をならしている.背後の山は羊蹄山.
今回の撮影予定では,有名な上目名へ行きたかったのですが,はっきり言って,雪の量にビビったのと,疲れていたのでしょうか,やはり日和ってしまったというのが本当のところでしょう.
▲上目名を通過しているニセコ.この雪の壁,これにビビってしまった.
重連のニセコは長万部までです.長万部で前補機のC62 44が切り離されました.
▲前補機のC62 44が切り離される.104列車.長万部.
予定ではこのままニセコに乗って八雲まで行き,そこで下りの103レニセコを撮影して,北海道を後にするつもりでしたが,蕨岱で撮影することに変更しました.
◆◆◆ 北海道ともお別れ
▲臨時列車.蕨岱駅(だったと思う).少し日も傾いてきた.
▲103列車,急行ニセコ,C62 44+C62 32.蕨岱駅.
▲103列車,急行ニセコ,C62 44+C62 32.蕨岱駅からさらに北へ向かっていく.
これで北海道での撮影はすべて終わりました.幸い天候には恵まれ晴れの日が多かったです.しかし,当たり前のことですが,雪が多く積もっていて,一人で知らない山の中へ入っていくのが怖く,上目名のポイントへ行かなかったことを今は少し後悔しています.
さて,今晩はまた青函連絡船が宿になります.函館まで行って,青函連絡船に乗りますが,予定の0:45発2便に乗り遅れてしまって,函館4:55発の34便で渡ることになりました.これ,とても待ち時間が長く,また時刻も時刻で,とてもつらかったです.次の撮影予定地は奥羽本線の碇ヶ関,津軽湯の沢という,これまた難所を走るSLの撮影有名地を訪れます.今度のターゲットはC61です.