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2023.6.30./エッセイ
テレビゲームをする

私もいい歳になってきたと思う.私はもともと IT に興味があり,1980年代からパソコンをいじっていた人間だ(と書くと年齢がばれそうだが).日本製の PC-98 というパソコンが日本の業界を席巻していた時代だ.まだ自分でプログラムを書いて利用するのが基本的なパソコンの利用方法で,アプリケーションを使うというのはあまり一般的ではなかった時代だった.

そのころは主に BASIC という言語が搭載されていたスタンドアロン型のパソコンだったが,MS-DOS という OS が登場してきて,ハードウエアの相違を MS-DOS のデバイスドライバが吸収することによって,共通のプログラミング言語が異なるハードウエアの上で実行できるようになった.ちょうどその頃に私はパソコンにのめり込んだ.ただ 8086 というプロセッサが遅く,スピード感がない動きだった.そこで私はマシン語(アセンブラ)を学び,直接 CPU を動作させるプログラミングを行った.図形がマウスの動きに伴ってストレスなく動く満足のいく結果だった(今では当たり前だが).その作品を Oh!PC という雑誌に送ると賞をいただいたりもした.

私はそれくらいパソコンオタクだった.ところで,1990 年代になると,いわゆるスーパーファミコンが発売され,スーパーマリオのゲームが登場した.それまで小さな液晶画面でちょろちょろキャラが動くようなゲームが多かったが,テレビ画面で動くゲームとして一躍脚光を浴びた.もちろんそれ以前にもテレビ画面で動くゲーム機はあったようだが,私のようなゲーム音痴が知ったのがこのスーパーファミコンだったし,我が家に入ってきたのもこれが最初だった.もちろん子供用だが.

子供はマリオに夢中になっていたようだが,私はパソコンオタクではあっても,全くゲームには興味を持てなかった.当時私は,喫茶店で時々インベーダーやギャラクシアンをやっていたぐらいである.ところが大きな出来事が私をテレビゲームに没頭させた.それは阪神淡路大震災である.

この当時は震災の現実を受け入れがたく,街が破壊された目の前の景色を見て,それをどう消化したらよいかも分からず,とにかく被災者の方々の世話をして毎日を過ごすという立場で生活していた.そんな毎日がかなり続き平常がだんだんと戻ってきたとき,家に帰って子供の持っていたゲーム機のスイッチを入れたことがあった.そしてそのゲームの世界観の中にどっぷり浸かると,現実を忘れるというか,現実から逃避できることに気がついた.ゲームは「大貝獣物語」というロールプレイングゲームだった.それから約半年,1周目をクリアし,2周目はキララというキャラ1人で冒険・攻略するという難度も上げてクリアした.子供に攻略法を教えるくらいのめり込んだ.日常の重苦しさがまだ街に漂っている時期,もう一つの居場所を提供してくれたテレビゲームにかなり精神的にすくわれたような気がする.

精神的になんとか大震災を乗り越えた感じがして,その後しばらくはテレビゲームから離れた.またプログラミングを始めパソコンオタクに戻った.ところが次に子供がプレイステーションを買ったのだ.ファイナルファンタジーという今でも続編が続いている超有名ソフトを子供がやっているのを見た.画面のグラフィックは,劇的に美しいものに進化していた.

私はパソコン以外にはビデオに興味があり,1990 年代はパソコンを使った「アナログビデオ」の編集が行われていた時期でもあって,パソコンでビデオ編集もやってもいた.また動画をパソコン上で動かすことにも興味を抱いていたが,当時はまだ CPU の処理能力が低く,非常に小さな画面でフレームレートも 15fps とかいったちゃちなものしか動かせなかった.しかし 1990 年代末に DVD が発売され,映画が非常に美しく再生できるようになった.パソコン上で「美しい」動画が動かせなくても,DVD を作成することで美しい動画が作れるということになり,市場もそれに敏感に反応して,DVD のオーサリングソフトが次々と発売された.もちろん私はそれに飛びついた.

子供も大学進学で家を出て行き,夫婦二人暮らしが始まった.子供のやっていたプレイステーションのグラフィック画面が忘れられず,PSX という DVD 録画も出来,プレイステーションのゲームも出来る機器を導入して,自作映像再生とゲームの両方の欲求を満たそうとした.その頃にはまったのが,ファイナルファンタジー X と X-2 であった.X は子供が買ったものだが,X-2 は私が買った,ユウナという女性キャラが活躍するゲームだ.映画界ではエイリアンあたりぐらいだったか,女性キャラが戦いに巻き込まれて活躍するというパターンが,かなりトレンドになっていた時代だった.そういった背景もあってか,私は X-2 にはまった.そういえば,大貝獣物語もキララという女性キャラ単独で攻略するパターンを選んだものだった.きっと私はこういうシチュエーションが好きなのだろう.

さて,前置きが非常に長くなった.こんなに長く書く気はなかったが,ついつい昔を思い出してしまった.今回のテーマは私がいい歳をして PS5 を買ったことなのだ.

PSX が壊れて以来,テレビゲームからは遠ざかった.その間にプレイステーションも4,5と進化してきた.IT 好きの私が最近にわかに興味を持ち始めたのが VR である.生きている間にぜひ VR というものを体験してみたいという思いが強くなったのだ.最近ようやく PS5 が手に入れやすくなり,通常販売になってすぐ飛びついた.そして PS-VR2 は発売とほぼ同時に購入した.最初に買うソフトは決めていて,グランツーリスモ 7 という,レーシングゲームだ.これを VR でやってみたかった.結果は上々で,平面ディスプレイ上でやるより VR の方がずっと現実感が増し,コントロールもしやすくなった.VR は期待通りであった.

さてしばらくプレイした後,次にどんなソフトを購入しようかと,ネットショップをのぞいた.そこで私は浦島太郎的な感覚を覚えたのだ.

秋葉原に行くと,かわいいアニメ調の女の子のキャラがたくさん看板などに描かれていて,スマホゲームのキャラも同様,ゲームの世界はこういったキャラクターが今でも支配的だという先入観で,ネットショップをのぞいたからだ.しかしそこに見られた売れ筋の有名なソフトは,多くがあまりにリアルなのだ.確かに女性キャラが活躍するゲームも多いが,みんな芯のある力強さが前面に出た,リアルすぎる表情をしている.映画に登場するアクション派の女優のようだった.ゲームに現実感が入りすぎると,ストレスがたまるような気がして,プレイするのに抵抗感が生じたのだ.

PS-VR2 のゲームがまだ少ないこともあって,この次のゲーム選びは難儀した.結局「オノゴロ物語」というアニメ調の 3D 少女が主人公の謎解きゲーム(正式には大正浪漫蒸奇譚 / VR アクションアドベンチャーゲームというのだそうだ)にした.グランツーリスモの方は車の運転シミュレーションなので,まだ現実と大きな違いを感じなかったが,オノゴロ物語の方は,謎解き部分はいいとしても,バトルシーンでは散々にやられっぱなしになってしまった.自分がこれほどいわゆる「反射神経」が鈍っているとは思わなかった.ネットの動画を見ると,みんないとも簡単にボス戦をクリアしている.わたしは先に進むのを諦めかけたこともあるくらいだ.

こんなとき,いわゆるパニックというのがどういう状態か,初めて客観的に認識できた.コントローラの操作の仕方は理解しているし普段は普通に操作ができるのに,たくさんの敵(眷属)が一斉に攻めてきたり,ボスが次々と連続攻撃を仕掛けてくると,もう無茶苦茶にボタンを押している自分に気がつくのだ.車の急発進でブレーキを踏めなかった高齢者が陥る状況はおそらくこれと類似した状況ではないかと思う.分かっていても慌てると出来ないという状況だ.

ある日孫が遊びに来た.PS5 にはじめからバンドルされているアストロ・プレイルームというゲームがある.これをさせてみると,次々にクリアしていき,2回目に来たときにはすべての内容をクリアしてしまった.これはコントローラの扱い方を習熟するためのソフトで,私もはじめやってみたが,まだ半分もクリアできていない.いわゆる「反射神経」の差が歴然と出たことを深く感じた.「これが高齢者の現実なのだ」と思い知らされた.

少し前テレビで,老人ホームにテレビゲームを導入して,それを高齢者が楽しんでいるというニュースがあった.この現実を思い知らされた私は,テレビゲームの効果を真面目に考えるようになった.ゲームを続けることによって,反応速度が上がる,とまでは行かなくても,刺激に対する反応を正しく行えるようになるのではないか,ということである.

オノゴロ物語はクリアするのに10時間ぐらいが普通らしいのだが,私は24時間経ってもクリアできなかった.本当に自分の衰えを痛切に感じたのだが,不思議なもので,だんだんと冷静に対処できるようになってきたことも事実だ.相手の動きや癖を冷静に読み解き,深追いせず躱すところは躱し,攻めるところは攻めるといった,若いゲーマーなら当たり前にやっていることが出来るようになってきたのだ.

脳の老化というと認知機能が問題になることが多いが,こういう「冷静に瞬時に反応するという神経回路を鍛える」こともとても重要であるように思う.そして何より最近非常に元気になった気がする.オノゴロ物語は3度クリアして,ほぼすべての内容を見ることができた.コセ・ハルさんという孫のような少女との二人旅も,現実にはあり得ない 3D 体験として,後味のよいものだった.物語の背景が日本であることや,今年ちょうど100年目を迎える関東大震災を最後に取り上げていることなど,ゲームのつくりにも作者のそれなりの思いが感じられてよかったと思う.

そして次に始めたゲームが「サムライ・メイデン」というゲームだ.これも日本的な世界観を持つゲームで,本能寺の変をデフォルメしている.このゲームは,下着が見えるとか見えないとかいうことがネットで話題になっているちょっと「紳士な(H要素のある)」ゲームだ.ゲーム業界ではこういうジャンルを「紳士」と呼ぶのを初めて知った.私もはじめのうちはドキッとしたが,もう慣れて当たり前になってしまった.それよりガールズトークが面白い.近頃の十代の子たちはこんな話をしているのかと思ったりする.

本能寺の変は織田信長が明智光秀に殺される(自害する)事件だったはずだが,登場人物たちが織田信長を助けて明智光秀の謀反を阻止しようとする展開で話が進む.「明智光秀が歴史を変えようとしている」という初期設定になっているのだ.ネタバレになるので明かさないが,これは途中で正される.ほんのちょっぴり歴史的テイストを入れていることが嬉しい.

そしてなにより私を楽しませてくれているのが,バトルシーンだ.慣れたゲーマーからは単調で同じ敵ばかり出てくるので面白くないという評価もあるようだが,「冷静に瞬時に反応する神経回路を鍛える」という目的を持った私にとっては,だんだんと腕が上がってくる自分が楽しみになっている.冷静に相手の動きを見て,隙を見計らって攻撃することが出来るようになっていることが実感できる.上杉謙信というとても強いキャラと戦うシーンがあるが,はじめはやられっぱなしでも,よく研究して,ほぼ無傷で勝つ方法を見つけたりすることも楽しい.謙信との再戦では,一回目は相手を知るために負けたが二回目で勝つことができた.ただ泡沫空間という世界で,空中に浮かぶ板の上を跳びはねて移動するのはいまだに苦手だ.これは VR だったらもっとうまく出来るかもしれない.

さて,話があちこちに行ったが,要は高齢者にとって,テレビゲームは普段ほとんど使わない神経回路を鍛えるのに役立つように思えることを伝えたかったのだ.また自分の好きなゲームが見つかれば,その世界観の中で楽しめ,気持ちも若返ることが出来る.これは最近何かしら元気になったような気がすることで実感できる.アバターという映画があったが,その感覚が擬似的に体験できるのが,最近の高精細グラフィックのゲームだと思う.



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