今日も新型コロナウィルスのニュースが流れている.流されてくる情報は,感染者数とか,重症化率とか,まん延防止措置を発出するかとか,多くが人間の立場に立ったものだ.今後の展開は全く予断を許さないものだが,ウィルスの立場でものを考えれば,少しはその方向性が見えてくるのではないかと考えたりする.高校生物ぐらいの知識で,新型コロナウィルスのことを考えてみたいと思う.
細胞を持たず,それ単独では代謝もないウィルスは,生物ではないという考え方があるが,ここでは生物として考えたい.人類が誕生してから今日に至るまで,ウィルスが人類を滅ぼしたことはないと思われる.もしウィルスが人類を滅ぼすとすると,人類に感染して生きるウィルス自身も滅ぶことを意味している.この事実は,一時的にウィルスがヒトに襲いかかることがあっても,最終的にはヒトとウィルスはこの世界で共存するような道を歩むのだということに他ならない.きっと今の新型コロナウィルスも,やがてはヒトと共存する道を選ぶに違いない.こう書くとウィルスに意思があるように見えるが,そうではない.ウィルスが「進化」することで,そのような状況に至るということである.もう少し今の実態に即していえば,次々に現れてくる性質の異なる変異株の中で,ヒトと共存できる性質を持った株が出現し,それが最終的な共存成功者となるということである.
実際,新型コロナウィルスは「進化」している.進化には,「大進化」と「小進化」がある.大進化とは,恐竜から鳥が進化したというように,種そのものが変わっていくような変化をさす.対して小進化とは,種は変わらないまでも,その種の集団の持つ遺伝的内容が変化することをさす.大進化には非常に長い時間がかかるが,小進化の場合は,一人の人間が観察できるほどの時間スケールで起きることがある.特にバクテリアやウィルスのような,世代時間が短い生物では顕著である.新型コロナウィルスの変異株(遺伝的に変化したもの)が次々に流行していることは,まさに小進化が起きていることを示している.
ところで,進化を考える際に,まず最初に整理しておく概念がある.進化は個体には起きないということである.進化は集団に起きるものである.つまり,ある生物種の「集団」の持つ遺伝的内容が,「世代」を繰り返していきながら変化していくことが進化である.
一方で遺伝的な変化とは突然変異のことである.多くの方がご存じのことと思うが,遺伝子の正体はDNAの塩基A,G,T,Cの配列である.例えば,...AATGCGTAGGTT...という配列があったとき,三番目のTがGに変わってしまい,...AAGGCGTAGGTT...というような変化を突然変異と呼ぶ.この場合,塩基が別の塩基に置き換わったので置換と呼ばれるが,これ以外にも,塩基の挿入,欠失など,様々な変化がある.この塩基配列が変わることで,つくられるタンパク質が変化し,例えば,コロナウィルスのスパイクタンパク質の構造が変化したりするのである.突然変異は,原則として規則性がなく,ランダムに,一定の確率で,特別なねらいを持った方向性もなく,いわばでたらめに起きる.
この突然変異は,進化の必要条件であるが,これだけでは進化は起きない.わかりやすいように人間を例にとって話してみよう.突然変異は,言うまでもないことだが,個人のどれかの細胞で起きる.ところが進化とは,「集団」全体の遺伝的内容が「世代」を通して変化していくことである.したがって,ある特定の「個人」に起きた突然変異が「集団」全体に広がらなければ進化は起きないし,また「世代」を越えてこの突然変異が伝わっていくためには,突然変異は体細胞に起きたのではだめで,生殖細胞に起きなければならない.以上から,進化が起きるためには,次の二つのステップが必要であることが分かる.
- 集団内のどれかの個体に突然変異が起きること.
- その突然変異が世代を繰り返しながら,集団全体に広がること.
このうち 1. は,細胞分裂の際のDNAの複製ミスなどによって,ランダムに一定の確率で起きる現象である.言い換えれば,低い確率ではあるが,常に起きている.したがって進化が成功するかどうかは 2. にかかっているといえる.
ウイルスの進化においても,原理は変わらない.ただ,ウィルスは粒子単位(単細胞とは言わない)の生命体で,細胞に感染して次世代の粒子をつくるので,上記の二つのステップは,次のように言い換えることができる.
- 世界中の新型コロナウィルスのどれかの個体に突然変異が起きること.
- その突然変異が,人に感染し細胞内で次の世代の粒子をつくって,それがまた次の人に感染して...,を繰り返して集団全体に広がること.
このうち 1. の変異株の出現(つまり突然変異)自体は一定の頻度で起きるもので,実は重要なことではないのだ.問題はその変異株が集団全体に広がることができるかどうか(よく使われている言葉でいえば置き換わるかどうか)という点にある.そしてそれができるかどうかは,その変異株の持つ性質によって決まる.
ところで,進化の原理といえば,自然選択説(自然淘汰説)を思い起こす人がいるだろう.19世紀にチャールズ・ダーウィンが唱えた説で,いまだに生物学の基本原理として生き続けている.これは,上記の 2. が成功するかどうかについて述べた説である.自然選択説以外には,遺伝的浮動というのが 2. を説明する説として知られているが,ここの論ではあまり重要ではないので,説明は省略する.
自然選択とは,「集団の各個体に存在する遺伝的な違い(遺伝的変異という)に基づく表現型の違いが,その集団が現在置かれている環境(環境圧,選択圧,淘汰圧などと呼ばれる)の中での生存しやすさの違いに影響を与えているとき,より生きやすい表現型を持った個体が生き延び(生存競争に勝って),より多くの子孫を残すことになる」という考え方だ.したがって世代を繰り返すうちに,その表現型をつくる遺伝子を持った個体が増え(選択され),集団全体にその遺伝子(を持つ個体=変異株)が広がっていくという考え方である.
まとめると,自然選択によって進化が起きるためには,
- 集団内に遺伝的変異に基づく表現型の違いが存在すること,あるいは突然変異によって集団内に新しい表現型が生まれること.
- その生物の生存にとって何らかの環境圧が存在すること.言い換えれば,その生物が子孫を残すのに好ましくないような環境要素が存在すること.
- 集団内のある表現型(あるいは突然変異によって生じた表現型)がその環境圧のもとでより多くの子孫を残すことができる状況にあること.
の三つが必要である.
前置きが長くなった.新型コロナウィルスの進化について,これらの考え方をもとにして見ていくことにしよう.実際の変異は多岐にわたる複雑な様相を呈しており,変異株の流行も複数が同時に含まれて起きているので話は単純ではないが,理解をしやすくするために単純化して話していくことにする.
今まで,人間に認知されている新型コロナウイルス変異株は,武漢から知られたオリジナルの株以後,アルファ,ベータ,ガンマ,デルタ,...,オミクロンと,かなりの種類がある.しかし,これらの突然変異が集団に大きく広がるのに成功した株は,日本ではアルファ,デルタ,オミクロンなどだ.つまりこれらはその前に流行した株とほぼ置き換わった.つまり「生じた突然変異が集団に広がり,集団の遺伝的内容が変化した」ので,進化が起きたと考えてよいだろう.
では,この進化を,自然選択の枠組みで考えてみよう.自然選択が働くには上記三つの条件が必要だが,まず突然変異はそれなりの頻度で起きていて次々に変異株が報告されている.そしてそれらの変異株はスパイクタンパク質の性状が異なって感染力が異なるなど表現型に違いがある.つまり表現型が複数あるという条件は満たされている.さらに今後も新しい変異株が登場するであろう.
次に環境圧の存在だが,新型コロナウィルスに対し子孫を残させにくくする圧力は,入院や自宅待機も含めた隔離や外出規制やワクチン接種などである.感染者が隔離されると,その体内のウィルスは,やがて,免疫力によって処理され死滅するか(患者の回復),不幸なことだが患者が死亡することによって死滅する.いずれにしても他者に感染して子孫を残すことができず,それらのウィルス個体は消えていく(淘汰されるという).ワクチン接種した人の体内でもウィルスは免疫力によって死滅するので,やはり淘汰されていく.さらに,新薬の登場によってウィルスを殺傷することができるようになると,これも大きな淘汰圧になる.我々社会のとっている対ウィルス行動は,かなり大きな淘汰圧となっているといえよう.
さて,こういう状況の中で,新型コロナウィルスがどのように進化していくのだろうか.これには,3. に基づき,次のような問いに答えることを考えればよい.
「今のような淘汰圧が働いている状況で,ウィルスがどのような性質(=表現型)を持てば,人類社会の中でより多くの子孫を残せるだろうか?」
例えばデルタ株は,感染力が強く,症状も激しいと言われていた.こういう株は,感染力の強さという点でそれ以前の株よりより子孫を残しやすいが,一方症状がはっきり出て重症化もしやすいとなると,我々の社会もそれに対応しようと,ワクチンの接種を進め,隔離を厳しくし,人の集まる場所を規制して自宅にとどまる人を増やすなど,淘汰圧を強めていく,というか,実際にそのように対応した.また不幸なことだが,お亡くなりになる方も多く出て,これもウィルスの立場から考えると淘汰圧となる.したがって,デルタ株はある程度広がったが,やがてその淘汰圧のもとでは広がることができない限界が来たといえるだろう.つまり我々社会のつくりだしている淘汰圧と,その下でのウィルスの子孫の残しやすさ(=適応度)のバランスによってウィルスの広がり方が決まるのだ.
デルタ株の次に進化してきたのがオミクロン株である.オミクロン株は,感染力がデルタ株よりさらに強いと言われている.これはウィルスにとって,より多くの子孫を残すのに有利な形質であるといえるだろう.また従来のワクチンが効きにくいといわれ,これもワクチンによる淘汰圧をすり抜ける意味で有利な形質といえるだろう.しかし一説によれば(まだ確定していないらしいが),重症化率が小さく,軽症や無症状も多いという.これはどうだろう.我々の社会がつくりだしている淘汰圧のもとで,子孫を残すのにより有利な形質といえるだろうか.ここは意見の分かれるところかもしれないが,私は有利な形質であると考えている.例えば無症状が多ければ,感染に気づかず隔離されることもなく,さらに他の人に感染して子孫を残しやすい.風邪状の軽症であれば,検査を受けず病院に行かない人もいるかもしれない.つまり,我々社会が「もうあまりガチガチに対処しなくてよい」と思うような状況がつくり出されると,これはウィルスにとっては子孫を残しやすい状況になるのである.最初に述べた「人類と共存しやすい性質」といえるかもしれない.
しかしながら,ここで注意しなければならないのは,「オミクロン株は重症化しないから緩やかな規制でいいのではないか」という考え方である.オミクロン株が他の株を駆逐して進化してきたのは,「今の環境圧」のもとでより多くの子孫を残しやすい形質を持っているからであって,「今の環境圧」つまり様々の規制をそっくり取り除いたら,また違った方向性を持った株が進化してくるかもしれないということである.あくまで進化の方向性を決めるのは,淘汰圧とそれに対するウィルスの適応度とのバランスなのである.規制の解除は徐々に慎重に行わなければならないであろう.
オミクロン株の出現は,我々社会の行っている規制が正しい方向を向いていることの証左であると私は考えている.では最終的にウィルスの形質がどのようになれば,新型コロナウィルス感染は終息するのであろうか.極論を言えば,感染力が強くなり,病原性がなくなることである.こうなれば我々社会はこのウィルスに対して何もしなくなると考えられ,淘汰圧がなくなり,ウィルスも感染し放題となって子孫を残していける.しかしこのウィルスが呼吸器系に感染する限り,我々の免疫系がそれに対処し,何らかの症状が現れることは避けられないと考えられる.したがって,病原性は残るものの重篤にはならないという状況が落としどころになると考えられる.よく言われるインフルエンザ程度の症状ですむというものである.
しかしこの場合でも,我々は,淘汰圧となるワクチン,特効薬などは持ち続けていかねばならない.今のインフルエンザでも,ワクチン接種が勧められているし,タミフルやリレンザなどの特効薬がある.さらに学校では数日間登校停止になるといった緩い隔離措置が認められている.こういう「淘汰圧」を持つことで,インフルエンザと我々人類は共存しているといえる.新型コロナウィルスの場合も同様であろう.つまり,今我々が行うべきことは,うまく淘汰圧を働かせて,新型コロナウィルスを我々が許容できる性質を持つように進化させることである.そういう意味では,まだしばらく時間がかかると思われる.
エピローグ:
このパンデミックの最終的な姿を予想してみよう.感染すると,インフルエンザと同じように,咳が出て,発熱し,体がだるくなって寝込むなどし,さらに一部の人においては重症化して肺炎から死亡することもある(実際インフルエンザでも死亡する人はいる)かもしれないが,ワクチンで予防でき,感染しても特効薬で軽快でき,若干の登校(出勤)停止のような規制をすれば社会復帰できるような病気になったとき,我々社会の淘汰圧とウィルスの適応度のバランスが許容範囲になるのだと思われる.デルタ株を駆逐したオミクロン株の出現は,その方向にウィルスの進化が舵を切ったように見える.この次の新変異株の流行ぐらいでパンデミックが終わるという人もいる.そうあってほしいと思う.